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2026.2.16

国家形成の象徴

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 初代天皇の話しでした、、、。

 

「天皇」という称号は、いつ、誰によって名付けられたのでしょうか??。

 

この問いに対して、現在の歴史学で最も有力とされているのは、

7世紀後半、天武天皇の時代に制度的に採用された可能性が高いという見方です。

 

それ以前、日本の君主は主に「大王(おおきみ)」と呼ばれていました。

 

大王とは、ヤマト政権の首長を意味する称号であり、

中国の「皇帝」のような絶対的な世界支配者という概念ではありませんでした。

 

実際、中国の史書『隋書』には、

倭の王が「日出づる処の天子」と名乗った記録がありますが、

これは外交文書上の表現であり、

日本国内で正式に「天皇」という制度が確立していた証拠とは言えません。

 

では、なぜ7世紀に入って「天皇」という名称が生まれたのでしょうか。

 

7世紀は、日本が国家体制を大きく整えた時代です。

特に天智天皇(中大兄皇子)による大化改新以降、

豪族中心のゆるやかな連合体制から、中央集権国家へと舵が切られました。

 

その流れの中で、中国の皇帝に匹敵する権威を持つ称号が必要とされ、

また国内に対しても

「国家の中心は一つである」という象徴を明確に示す必要がありました。

 

「天皇」という語は、中国の道教思想などに由来し、

「天の意志を受けて統治する最高の君主」という意味を持ちます。

 

これは単なる部族連合の長ではなく、

「天命を受けた国家の君主」という新しい国家像を示すための称号でした。

 

つまり「天皇」という言葉の採用は、

日本が国際社会の中で独立した国家として自立しようとした意思表示でもあったのです。

 

では、初代天皇とされる存在はどうだったのでしょうか。

 

初代とされるのは神武天皇ですが、

その実在は歴史学的に確認されていません。

 

『古事記』や『日本書紀』に描かれる建国神話の中の存在であり、

仮に実在の原型となる首長がいたとしても、

当時は一人が絶対的に支配する体制ではありませんでした。

 

古代ヤマト政権は有力豪族の連合体であり、

祭祀を担う氏族、軍事を担う氏族、政治を担う氏族がそれぞれ役割を持っていました。

 

王はその中心に立つ盟主であって、

現代的な意味での絶対君主ではなかったと考えられています。

 

実際、古代には「臣(おみ)」「連(むらじ)」と呼ばれる有力氏族が存在し、

政治の実務を担っていました。

 

たとえば軍事を担った物部氏、政治を主導した蘇我氏、

祭祀を司った中臣氏などが知られています。

 

6~7世紀には蘇我馬子のように、実質的に政権を動かした人物も現れました。

 

つまり「天皇が一人で統治する」という図式は後世の整ったイメージに近く、

実態は合議制に近い支配構造だったのです。

 

それでは、なぜ「万世一系」という思想が強調されるようになったのでしょうか。

 

8世紀に編纂された『古事記』や『日本書紀』は、

国家の正統性を内外に示すために作られました。

 

律令国家が完成しつつあったこの時代、

国家の中心に揺るがない存在を置くことは政治的に極めて重要でした。

そのため、

初代から一貫した系譜、天照大神の子孫であるという神話的正統性、

そして途切れない皇統が強調されました。

 

これは単なる神話ではなく、

国家を安定させるための思想的基盤でもあったのです。

 

こうして見ると、

天皇制は最初から完成された制度だったわけではありません。

 

豪族連合の盟主という立場から出発し、

外交上の必要性、国内統治の再編、思想的整備を経て、

数百年かけて国家の中心制度として形づくられていきました。

 

「天皇」という称号は、

その歴史的変化の中で生まれた、国家形成の象徴だったのです。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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