EXECUTIVE BLOG
2025.2.14
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは GHQが 日本の祝日までも変えてしまったと言う話でした。
何故 国の伝統文化をこれほどまで神経質になって変えてしまうと
したのかの話に進みます。
戦後、日本はGHQ(連合国軍総司令部)の占領下に置かれ、
さまざまな改革が行われました。その中でも特に大きな影響を与えたのが、
国家神道の解体だったのです。
GHQはなぜそこまで日本の文化を変えようとしたのでしょうか? 彼らは何を恐れたのか?しょうか?今回は、このテーマについて分かりやすく考えていきたいと思います。
GHQが最も気にしていたのは、日本が再び戦争を起こさないようにすることでした。
第二次世界大戦の終結後、連合国は「日本がもう一度軍国主義の道を進まないようにしよう」と考え、そのための改革を進めました。
特に注目されたのが、当時の日本人の精神的な支えとなっていた「国家神道」だったのです。
国家神道とは、明治時代に確立された天皇を中心とする宗教的な仕組みで、
日本人の心を一つにする役割を持っていました。
しかし、GHQはこれが戦争を支える仕組みになっていたと考え、変えようとしたのです。
GHQが国家神道を問題視した理由には、次のような背景がありました。
天皇の存在が戦争を正当化してしまう当時の日本では、
天皇は「現人神(あらひとがみ)」とされ、とても神聖な存在でした。
そのため、戦争も「天皇のための戦い」として正当化され、
人々は疑問を持たずに従っていました。
「天皇陛下万歳!」のスローガンが広まったのも、その影響が大きいと言われています。
神社を通じた国民の団結国家神道のもとでは、神社は単なる宗教施設ではなく、
国民をまとめるための場所でもありました。
学校でも「天皇に忠誠を誓うことが大切」と教えられ、
それが国民の考え方に大きな影響を与えていたのです。
GHQは、こうした仕組みが再び軍国主義に結びつく可能性を心配していたのです。
戦争に向かう精神的な支え「靖国で会おう」といった言葉が広まり、
戦場で亡くなった人たちは神として祀られるという考え方がありました。
これが、特攻隊などの自己犠牲をいとわない行動につながったとGHQは見ていたのです。
こうした背景から、GHQは1945年12月に「神道指令(Shinto Directive)」を出し、
国家神道の仕組みをなくしました。
これによって、
国が神道を管理することが禁止される
学校や政治から神道の影響を取り除く
天皇が「神」ではなく「人間」として扱われるようになる
といった大きな変化がありました。
こうした改革により、日本は現在の「政教分離」の考え方を持つ社会へと移行していったのです。
GHQが日本の文化を大きく変えたのは、
日本が再び戦争の道を進まないようにするためでした。
そのため、GHQは国家神道を戦争を支えた仕組みと見なし、解体を進めたと言うわけです。
戦前の日本では、国家と宗教が深く結びついていましたが、
戦後は「宗教の自由」が強く意識されるようになり、多様な考え方が受け入れられるようになりました。
歴史を振り返ることで、
「なぜGHQは日本の文化を変えたのか?」という疑問の答えが見えてきます。
そして、それが今の日本の社会にどのような影響を与えているのかを考えることも大切ですね。
では
何故あれは解体されなかったのか???
は
明日に続く、、。