EXECUTIVE BLOG
2024.9.3
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 平凡に過ごしていた人が
ある事をきっかけに 後の歴史に大きく関わると言う話で
養父にイジメられ家出して漁師になったジョン万次郎や 大黒屋光太夫の部下の名もない船員が 後の歴史に重要な役割を果たす事になったのです。
我々の現在行っている行動が もしかしたら 後の歴史に大きく影響するかもしれないのです。
その話から 幕末の赤鬼と言われた 井伊直弼の話になりました。
井伊直弼は 安政の大獄と言って 反幕府の人達の多くを捉え 処刑したと言う事で
悪い人物だとの印象がありますが
彼は 本当に そのような人物だたのでしょうか?
どんな人物だったか? は 彼が若き日に住んでいた自分の屋敷を
「埋木舎」と呼んでいたことから うかがい知れると思います、
直弼は、後に彦根藩第十三代藩主、さらに江戸幕府の大老となり日米修好通商条約の平和的締結に力を尽くした人物ですが、
井伊直弼が若き日々を過ごした場所がこの「埋木舎」です。
埋もれ木とは、地中に埋まり外から見えない樹木のことであり、
世間から捨てられて顧みられない身の上のことを意味しているのです。
当時の直弼は彦根藩の世継ぎではなく、
この屋敷で貧しい一生を送らねばならない不遇の境遇にある事を自覚していました。
それでも、腐ることなく文武の修練に精進していたのです。
この埋木舎での努力が、後に幕府の大老として開国を断行し欧米の侵略から我が国を守った度量と、茶の湯の巨人として高い名声を得た文化的教養とを形作ったのです。
井伊直弼は埋木舎時代、巷で「茶歌ポン」と呼ばれていたのです。
これは茶の湯、和歌、謡曲の鼓の音「ポン」の事であり、
直弼はそのいずれにも造詣が深かったのですが、
特に茶の湯においては、その精神的バックボーンは禅の修行と密接な関係がありました。
直弼は13歳の頃から井伊家の菩提寺である曹洞宗の寺、清凉寺に参禅していて、
そこで禅の修行を積み、奥義を究めたのです。
禅の言葉に「只管打坐」があります。
これは、
「座禅は何かを求めて行うもではなく、座禅をしている状態そのものが悟りの体現なのだから、何も求めずただひたすらに座禅に打ち込め」
と言う教えです。
直弼はこの教えを守り、ただひたすら座禅をすることにより大悟徹底の域に達し、
禅師から印可証明を授けられています。
直弼の崇高な人格や高邁な識見、そして強い精神力はまさに禅の心によって創られたと言われています。
直弼の茶の湯というと、著書の茶湯一会集にある「一期一会」「独座観念」「余情残心」という言葉が広く知られていますが、その根底には常に禅の精神があったのです。
本来であれば このまま 禅の修行をしながら茶人として一生を
この「埋木舎」で過ごすはずだったのですが
それが 運命のいたずらか 何と彦根藩藩主になり そして 大老となり
あの 安政の大獄を指揮することになるのです。
何一つ変わらない平穏な日々を過ごせる人が 何故いきなり 歴史上の主人公になってしまうのか??
ここにも なにか見えざる手によって 動かされている気がしてしまうのです。
人間の運命とは面白いです、、、
で 何故 藩主になり大老になり 安政の大獄を指揮するようになったのか??
は
明日に続く