EXECUTIVE BLOG
2021.9.16
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 物流業界には関係ない 対岸の火事だくらいにしか
考えていなかった時に
メーカーが NPS指導員とともに 弊社の物流センターに
視察にきたと言う話でした。
そこで
これは 対岸の火事どころではないという事にきがつくと言う話に
続かなければなりませんが
またまた
話が逸れてしまいます
昨日黒船来航の事を書かせて頂きましたが
私のブログでも何度も書いているのは 変化を恐れてはならないという事なのです
皆 今までどおりが一番楽なのですから、
先に書いた かんばん方式を取り入れた工場は NPSの生産方式等出来っこないと
出来ない理由を並べたてるのでした。
これは 黒船が来た時の江戸幕府も同じような感じだったのです。
西暦1853年6月3日、アメリカから日本の浦賀にペリー(黒船)は来航しました。
この頃の日本は江戸幕府が治めていたのですが、突如現れたペリー(黒船)を前にして大混乱に陥りました。
当時の日本は第3代将軍の徳川家光が始めた《鎖国体制》をとっていて
200年あまりの間、中国、朝鮮、オランダ以外の国とは国交をしていませんでした。
そんなときにペリーが乗船する黒船が来航して、
日本は開国か鎖国かの2択を迫られたのです。
この時、江戸幕府は大混乱したと言いましたが、
実は江戸幕府将軍を始め、老中や閣僚たちはペリーが来航することを実は1年前から知っていたのです。
なぜ知っていたのかと言うと、
オランダが日本へ世界情勢を伝えるために毎年レポートを提出したり、
外交官同士で情報交換をしていたからです。
なんと
幕府は1年前からオランダによって
「アメリカからペリー(黒船)が日本へ渡航するような動きを見せています」
というレポートを受け取っていたのにも関わらず、
実際に来航するまでなんの対策もしていなかったのでした。
これも 先日書きましたが 大阪の私立大学が 少子化になってから慌てている大学が多い中 その大学は そういう時代になることを30年前から予測して対策を打っていたので
今は 慌てることなく経営を行っていると言う話がありました。
同じように江戸幕府は 一年も前から アメリカが日本を狙っていると言う情報を
オランダからもらっていたのにも関わらず 何の手を打っていなかったのです。
多分 ただただ そんな事がないに決まっていると願うばかりだったのです。
江戸時代日本には『外国船打払令』という法律がありました。
外国船打払令とは
『中国、朝鮮、オランダ以外の外国の船が日本の海域にやってきたら躊躇なく大砲にて砲撃すべし』
という法律です。
そのためペリーが来航してきた際、日本に外国の船を近づけまいと幕府は砲撃命令を出して砲弾を撃って撃って撃ちまくったのです。
ところが日本軍の放った砲弾は黒船に届くことはありませんでした。
ペリーは黒船を砲撃が当たらない安全な場所で停止させていたのです。
当時の日本の大砲では長い距離を撃てないものばかりだったのです。
と言うか 幕府は そのような大砲を作ることを禁じていたからです。
又 それまで日本にあった船は「千石船」という船でした。
「千石船」は全長25メートル、排水量(重さ)200トン、乗員数は100人が
限界でした。
対してペリーの乗る「黒船」は全長78メートル、排水量(重さ)3824トン、乗員数300人。長さは3倍、重さは20倍、乗員数は3倍とその差は歴然です。
さらに黒船の動力は蒸気機関、千石船は帆(風力)もしくは人力という具合だったので驚くのも無理はありません。
これで 世界を相手にできると 何も対策をしていなかった言うのは
今だからこそ 笑い話になりますが
とにかく 何事もなく 今まで通りで 幕府の威光を見せれば 相手は恐れを
無して逃げ出すに違いない と勝手に考えていたようです
さらに
これに加えて
面白い話があるのです
それは
明日に続く、、。