EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2021.7.24

大仏とは??

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは 特許の話からそれまして

散歩の時に見つけた石碑を見て驚くという話でした。

そこに書いてあったのは 饂飩蕎麦饅頭の発祥の地が博多だという事だったのです。

 

理由を調べてみますと納得できるのも 博多が古来より中国大陸と交易があり

色々な技術が最初に博多に来ていたからなんだと言うことなのですね

 

博多は地図で見るまでなく 朝鮮半島中国大陸に非常に近い都市だからなのか

今でも新しものが好きな人が多いと思います。

 

この饂飩蕎麦饅頭の発祥の地が 承天寺と言うお寺ですが

 

その先に 東長寺と言う大きなお寺があります。

私が福岡に住むようになって長いですが ここに 大仏があるという事を知るのは

最近になってからなのです。

しかし ただあることは知っていましたが

何故ここに大仏があるのか?と思うようになったのは最近のなのです。

 

大仏と言えば 鎌倉か奈良で そこにあるのが当たり前だという事で

存在すら不思議に思いませんでしたが

 

そもそも大仏って何だろうと考えてみると

何故大きな仏像を作ったのか? その背景など考えた事もありませんでしたが

福岡の大仏を知って なんでこんなものを作ったのかと興味が湧いてきたのです。

 

そもそも大仏とはですが

仏像の基本寸法は丈六(じょうろく)といわれ、一丈六尺(約4.85m)の整数倍、または整数分の一で造られることが多く、立像で高さが一丈六尺(約4.85m)よりも大きなものを大仏と呼ぶことが多いのだそうです。

 

では 何故この大きさが基準なのか? ですが、

釈迦の身長が一丈六尺(約4.85m)だったという説や、

仏や菩薩が化身してこの世に現れる身長という考え方から来ています。

しかし

実在の人物である釈迦の身長が5m近くあったというのは無理があるとおもうのですが、、、。

 

仏教発祥のインドでは、紀元1世紀ごろから仏像が造られていたそうで、

10mを超えるような巨大な大仏が建立された例はほとんどなく、

中央アジアや、中国で巨大仏が造られはじめたという事です。

天然の岩壁を彫刻した磨崖仏(まがいぶつ)も多く造られていますね。

 

日本では奈良時代、聖武天皇が東大寺に奈良の大仏を建立してます。

しかし何故聖武天皇はこんな大きな大仏を作ったかはあまり知らないのでは

と思います。

 

聖武天皇は西暦701年生まれで、聖武天皇の時代には、はやり病、地震や反乱と、

いろいろな困難がおしよせてきたので、

そこで聖武天皇が考えたのが、自らが信じている御仏をシンボルにして、

仏様に日本を救っていただこうという事を考えたと言うのです。

 

歴史的な事は詳しくありませんが 都を遷都する事をしたりしてたようですが

なかなか国難を排除できない事から 天皇は大仏を作る決意をしたと言うのです。

 

聖武天皇がすがっていたのが仏教でしたので、

不安定な世を、仏教の力で救おうとしたのです。

それで聖武天皇は、国の一大事業として平城京に大仏を造ることを決心しました。

 

そして743年に、民に向け、大仏造りへの協力をよびかける「詔」を出すのです。

「国じゅうの銅を用いて大仏をお造りし、大きな山をけずって大仏殿を建てて 仏の教えを広めよう」。と言う内容の詔だったようです。

 

しかし 当時の技術でどうやって建てたのかと

思ってしまいますよね、 一つ興味が湧くと次々に

色んな疑問が湧いてきます

 

ではどうやって建てたのか?

 

頭悩みますね

 

おっと この大仏が建造されたのが

743年です もう悩みは なしさ(743)で 覚えてください

 

続きは

また

 

明日へ、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

 

高光産業株式会社 妹尾八郎監修の書籍

 

高光産業株式会社 妹尾八郎監修の書籍(Amzon)