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社長&顧問ブログ

2021.3.17

大名武鑑見ながら見物??

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです

 

 

昨日は 桜田門外の変の話でした。

日本史は学校では習いますが なかなか その側面を習う事が無かったですが

興味を持って調べてみますと いろいろ面白い事が分かってきます。

 

前から言ってますが 興味を持って違う角度から見てみると面白いですし

そういう訓練が新しい発明に繋がって行くのだと思います。

 

頭を柔らかくしておく事が重要だといつも思っています。

 

 

それで 昨日からの続きですが

 

桜田門外の変があった日は 今の暦で 3月24にと言う事なのですが

今は桜の開花宣言が出て言いますから 地球が温暖化しているのだなと実感します。

 

そして 当時この大雪が 彦根藩の警護の侍たちの動きを悪くしてしまったのですね。

 

彦根藩としては まさか襲われるとは思っていなかったのではと思いますが

井伊大老の元には 水戸藩の浪人たちの不穏の動きがあると言う情報は届いていたと

言われています。

しかし 大老とあろうものが そのような情報に気が動転して 登城を止めるとか

普段より警備を多くするとかは出来なかったのではと思います。

 

そして いよいよ襲撃の時に 浪士達が襲い掛かるのですが 警備の侍は

雪が降っていたという事もあり 名前を何というかは忘れましたが

刀を袋の中に入れて腰に差していたのです。

 

襲われてきたにも関わらず 彦根藩の侍はなかなか刀を抜くことが出来ずに

切りつけられてしまい 必死に 大老の籠を守っていた侍も最後まで勇敢に守っていたようですが

やがて 大老は籠から引きずり出されて 先にも書きましたが 薩摩藩の 有村次座衛門により首を切り落とされてしまうのです。

 

学校で習ったのは このあたりまでですし 井伊大老は 赤鬼と呼ばれて

安政の大獄を行った どちら方と言えば悪人のイメージが付きますが

非常に温厚で賢明な方だったようです

 

いつの時代も歴史は勝者が書き換えますから 後の明治政府がそう仕向けたのかもしれませんね

 

この井伊直弼の事は 又別途書かせて頂きますが

事件としては このような事でした。

 

しかし あまり詳細な事は残っていないのです

 

これは おかしくないでしょうか? 白昼の襲撃です

大名の登城 しかも大老の登城ですよ。

 

今の時代でも 何かのパレードがあるとると 大勢の見物人で溢れます

しかも 当時でも大都市の江戸です。

大名の登城見物で大勢の人が居たと思われますし 旗竿についている家紋はどこの藩だと

分かるような 今でいうパンフレットまで出回っていたのです

見物人は その 家紋とパンフレットを見合わせて

次は 何々藩が来るぞとか 言い合いながら見ていたと思うのです

 

その大衆が見てる前での惨劇です 見ていた人は腰を抜かしたとおもいませんか?

いきなり首を切り落とし それを刀の先につけて歩いていく有村を見た人は

きっと気が動転したと思います。

 

それから 多くの彦根藩の家来は 助けを求めに 数百メートルのところの藩邸に駆け込みます

多分その時も門から見えていたと思うのですが 何故応援が来なかったのか?

 

とか いろいろ 知りたいことが出て来ます

 

藩邸に戻った家来たちはその後驚くような処分を受けています

 

大老は その後 怪我をしたので 登城できないと家臣が 江戸城に報告に行きます

何故そのようなミエミエの嘘をついたのか????

 

それは

 

明日に続く、、。

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