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社長&顧問ブログ

2019.6.6

大和心その2

高光産業 妹尾八郎です

昨日からの続きです

日本は八百万の神を信仰する民族といわれます。
国土の7割近くが森林で覆われており、
山があり、様々な場所に神様がいるわけです。
そして、今回紹介するのは増田神社という神社です。
ここは世界で唯一、殉職した警察官を祀っているという大変珍しい神社なんです。
先ず 増田神社由緒

「増田神社 創立明治二十八年
由緒
明治二十八年、七月高串にコレラが発生し数日の間に真性四十人・疑似三十四人・死者九人の猛威を振るった。
当時の衛生行政は警察が握っていたため当地のコレラ防疫に派遣されたのが増田巡査だった。
増田氏は明治二年熊本県泗水町に生まれ、
学識と正義感溢れる持ち主で明治二十八年七月十七日佐賀県巡査任命と同時に、
高串のコレラ防疫の大任をおびて当地におもむき、
防疫態勢や患者の手当て、死体処理と不眠不休に徹し三昼夜に及ぶ増田巡査の労力の効果で、
数人の患者を在するのみでコレラの伝染力を滅ぼしたが不幸に二十三日増田巡査本人も感染し
二十四時間後午後三時絶命され、二十七才の生涯をこの地に没せられました。
臨終の際、「余は死しても此の防疫の為に尽くさん この地向後悪疫を入れせめず」
とのことばを残し増田巡査が死去されたのちは、
一名のコレラ患者も発生しなかった。
区民は増田巡査生前の壮烈なる功労と英霊を慰めようと碑を建て祠を造った。
今では全国唯一の警察神として尊ばれ郷里の熊本県にも顕彰碑がある
コレラとは…コレラ菌によって小腸が侵され、激しい下痢と高熱を伴う急性伝染病」

明治28年、皆の役に立つ仕事がしたいということ思っていた時、
増田氏の目に映ったのは佐賀県巡査(警察官)募集の広告。
これを機に、増田氏は警察官になるのです。なるといっても、警察官になるには巡査教習所(警察学校)に入る必要がありました。
わずか10日間で教科過程を習得して優秀な成績で修了。同年7月19日に唐津警察署に配属しました。

地区のためにコレラと戦う!

赴任した増田巡査は、さっそく区長たちとコレラ対策を立てました。
いまではすっかり撲滅されたコレラですが、当時コレラは「古呂利(ころり)」と呼ばれ、
発症すると三日くらいで、7割の感染者が死に至る病気だったのです。
対策としては、細菌の侵入を防ぐこと、発症後は脱水症状が著しくなるので、とにかく水分を補給し続けることでした。

ところが、当時の地元の人々はそうした伝染病への対策知識を持っていません。
あるのはヤスデの葉を軒に吊るしたり、松飾りを家の入口に置いたり、お札を貼ったりするなどの迷信だけだったのです。

増田巡査は先頭に立って患者の家をまわり、消毒を行い、縄を張りめぐらして人々の往来を禁止しました。
また、生水を飲んだり、生のままの魚介類を食べないよう指導して回りました。
拡声器や、ラジオやテレビがある時代ではありません。
とにかく、一軒一軒、しらみつぶしに訪ねて行って一生懸命指導していくのです。

ところが増田巡査の懸命の努力とは裏腹に、すでに手遅れの患者が薬を飲んで亡くなったのをきっかけに、
「増田巡査が毒薬を飲ませている」という何の根拠もないうわさが広まってしまうのです。
噂はあっという間に村々に広がり、治ると思われる症状の患者まで
「この薬は毒薬だから飲まない」といい出す始末となりました。

村人たちのために、一生懸命に尽くしているのに、いわれのない中傷を浴びるのです。
それだけではなく、増田巡査がやってくると、まるで疫病神が来たかのように、
戸口を閉めて増田巡査を受け付けない家まで出る始末です。
けれど増田巡査は、その強い責任感だけで、村中の家を一軒一軒まわり続けました。
そして根気強く人々の誤解を解いていきました。

しかしその結果、コレラが伝染病とわかると、今度は感染を恐れた村人たちが、亡くなった人の遺体を運ぶことを拒むようになりました。
このため増田巡査は、たった一人で遺体を背負い、対岸の丘の上の墓地に埋葬をしたのです。

患者への手厚い看病や予防活動に、不眠不休で取り組みながら、さらに遺体を背負って山道をひとりで運ぶのです。
想像もつかない使命感ですよね。
しかし、増田巡査の疲れも極限に達していきました。

そんな増田巡査に、ついにコレラ菌が襲いかかりました。
着任して3日目のことです。
その日の午後、増田巡査は、とうとう倒れてしまいます。

「このようになっては、
回復の見込みはないと覚悟しています。
しかし村のコレラは
私が全部背負っていきます。
だから安心してください。
また、村人たちには、
私が指導したように
看病と予防を
しっかりやるように伝えてください」

死の間際にこう遺言して、増田巡査は亡くなりました。

増田巡査が警察官になって7日目、村に来てわずか4日目のできごとです。

それから百年が経ち
地元の人々は、増田巡査をしのび、神社に碑文をたて、以来、毎年増田巡査の命日の7月26日に近い日曜日に、
警神となった増田巡査をしのび「増田神社夏祭り」を開催しているのです。

たった4日間の恩を、いまだに肥前町の人々は忘れていないのです。

私たちは、そうした善い行ないをされた先人たちを、歴史上に数多く知ることができます。

このようなそのような歴史、日本人の心を 私たちは忘れてはならないと思います。

 

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