EXECUTIVE BLOG
2025.2.22
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 天皇陛下が 靖国参拝を取りやめる事になった理由についての
話しでした。
天皇陛下の思慮深さを知る事出来る重要な出来事だったと思います。
さて まもなく 二月二十六日を迎えます
二・二六事件が起きた日です。
この事件もまた 天皇陛下が憂慮する事件でした。
今日からは この事件が起きた原因などの話に進む予定でしたが
もう少し 靖国神社の話しになります、、、
かなり前に 靖国神社の事を書いた時に 入口の大きな鳥居の事を書きましたが
さらに それに匹敵する位の 大きな銅像があります。
あまり気にしてないかもしれませんが
その銅像が誰の銅像なのか???? そして その方は何をしたかで
何故そこに あるのか??? の話になります。
靖国神社に大村益次郎の銅像がある理由は、
彼が同神社の前身である東京招魂社の創建に尽力したためなのです。
大村益次郎は、戊辰戦争後、戦没者を慰霊・顕彰するための施設として東京招魂社の設立を提案しました。
この提案が受け入れられ、1869年(明治2年)に東京招魂社が現在の靖国神社の地に創建されたのでした。
銅像は1893年(明治26年)に、大村益次郎の門人たちの尽力により建立されました。制作を担当したのは彫刻家の大熊氏廣で、高さは12メートルに及びます。
この銅像は、日本初の西洋式銅像として知られ、当時の東京の新名所となっていました。
益次郎の銅像の設置意図は、大村益次郎の功績を称えることにあります。
彼は日本陸軍の基礎を築いた人物であり、また東京招魂社の創建を提案したことから、
「日本陸軍の父」とも称されています。
そのため、靖国神社に彼の銅像を建立することで、
彼の業績を後世に伝え、顕彰する目的があったのです。
おの銅像は、筒袖羽織に短袴を着用し、左手に双眼鏡を持つ姿で表現されています。
これは、江戸城の富士見櫓から上野に籠もる彰義隊を観察している様子をモデルにしたとされています。
このように、靖国神社に大村益次郎の銅像があるのは、彼の軍事的功績と東京招魂社創建への貢献を称えるために建てられたと言う事なのです。
ここで 上野に籠る彰義隊を攻撃している時に その大砲の音が聞こえながら
平静を保って ある場所で 授業を行っている方が いました
その方とは????
の話は
明日へ続く、、、。