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社長&顧問ブログ

2024.1.7

大権現様

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 長州藩の正月の挨拶が

「江戸総攻撃の準備が出来ました」 と 家臣が言うと

殿様が 「 まだ 早い」 と 答える事を 260年間も 続けていたと言う話でした。

 

260年間も恨み続けていた事も凄いですが

260年間も江戸幕府が続いた事にも驚きますね、

 

徳川家は 将軍家を守るために 参勤交代 武家諸法度 禁中並び公家諸法度など

色々な制度を編み出して 幕府を存続させたのです。

 

関ヶ原の戦いで 家康が勝利して長州を萩に押し込み 反撃の芽が出ないようにしていました。

もう一つの雄藩である 薩摩藩も 取り潰したいと考えて 宝暦の大治水と言われる

木曽川 長良川 揖斐川の水害対策を押し付けました。

 

しかし 両藩とも 数々の無理難題を乗り越えじっと耐えに耐えて そして ついに

260年後に 関ヶ原の恨みを果たすことになるのですから 凄い根性だと思います。

 

家康も 色々な手を考え抜いていましたが 死ぬ間際に 幕府安泰にするための

最後の施策をすることを思いつきました

 

それは もし 徳川家に歯向かう藩が出てくるとしたら それは 朝廷を擁した

藩だと言う事に気が付き

 

そうならないようにするために 自分自身も 天皇家の様に 神様になる事

を思いつき

自分が天皇と同じく神になれば だれも歯向かってこないだろうと考えたのです

 

それで 東の神様として 東照宮に祀られることにして

その後家康は神格化されて 大権現様と言われるようになったのです。

 

しかし 家康とて人の子です

ミスも犯します

 

それが 長州藩が 天皇家と付き合う事を許してしまった事です。

 

家康は まさか 萩の田舎に追いやった長州藩が 歯向かってこないだろと

考えていたのでしょうが

 

それが 260年後に 天皇を擁して 薩摩と同盟して 維新を起こす事とは

夢にも考えていなかったと思います

最初幕府側に付いていた藩も 次々と恭順していくのですが

 

最後まで 徳川家を守るために 立ち上がったのが 奥羽越列藩でした。

 

特に会津藩は 京都に新選組を配置して 藩幕府の活動を取り締まっていたので

維新軍としては 目の敵にしていたのです

 

それで 会津攻めを行った長州軍は

そこで 何をしたのか????

 

その結果

150年経ったいまでも、、、、、

 

の話は

 

明日に続く、、、、。

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