EXECUTIVE BLOG
2022.2.23
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは いつの間にか 大隈重信の話になってしまってましたね、
そもそも どこからこうなったのか???
私にも分かりません
毎朝起きてから 書き殴っているので 何の構想もあるわけでもないので
だらだらと続けてしまっている為に分からないのかと思います
少し前までは ワインの話から ナポレオンの話になったりしながら
外交特権の話になり それが 明治維新の暦改定のはなしから
大隈重信に繋がったと
こうして書きながら 思い出している所です
そもそも 大隈重信って どういう人物だったかをあまり知られていない気がしますが
彼が 早稲田大学の創立者であることは多くの方はご存知だと思います。
早稲田大学の行動の前に 大隈重信の立派な銅像が建っていますが
あの銅像しっかり両足で立っていますが
実は 大隈重信の右足は テロによって吹き飛ばされて失っていたのです。
何故 テロに遭ったのか????
詳細は 分かりませんが 外交上の問題で 彼の提案が 右翼に受け入れられずに
馬車で官邸へと戻ろうとしていた大隈の乗っていた馬車に爆弾が投げつけられ、
大隈は右足を負傷します。
すぐに官邸内で手術を受けたものの、右足膝上より切断を余儀なくされたのです。
爆弾テロの犯人は国粋主義者の来島恒喜と言う人物で、
福岡県出身 右翼団体・玄洋社のメンバーで、
条約の改正内容に強い不満を持った人物だったのです。
襲撃後、来島はその場で短刀でのどを突いて自殺しています。
福岡には過激な人物が多いのでしょうかね??
右翼団体玄洋社も福岡で設立された団体です、、、、、
この話に あやうく逸れそうになりますが
なんと、このとき失った右足はホルマリン漬けにされ、
今でも保存されているというのです!
現在は大隈家の菩提寺である、佐賀市の龍泰寺保管されています。
当初は大隈家にあったそうですが、病院や早稲田大学を経て今に至るそうです。
現在は ホルマリン漬けの足は見ることは出来ませんが
かれが 装着していた右足の義足は展示されています。
彼の義足は 早稲田大学と 佐賀の大隈博物館に展示されているそうです。
写真を添付してますが
非常に長い 義足だと思います。
大隈の身長は 190センチ近くあったと言われています
道理で 義足が長いのか 納得いきますね、、。
通常であれば
自分の命を狙った相手を称賛する人は居ないと思いますが
大隈重信は違っていました
実際に右足を吹っ飛ばされた大隈は、許すどころか賞賛までしていたと言うのです。
彼は
「外務大臣に爆裂弾をくわせる勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する」
と言って
その後
来島の命日には、お墓参りを欠かさなかったと言われています。
何と器が大きいのか!!
と思ってしまいますね
こんな 人物であれば
それこそ 日本の紙幣のモデルになって良い気がします
早稲田のライバル慶応の福沢諭吉は 現在一万円札の顔になっていますね
何故
大隈重信は 紙幣のモデルになっていないのか?????
それは???????????
明日に続く、、、、。