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2025.3.3
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 福沢諭吉の脱亜論の話しでした。
今日は、早稲田の創立者である 大隈重信には これを同じような論文があるのか???
の話になります、、、。
明治時代、日本の近代化を推進した政治家の中で、
大隈重信は特に開国主義や立憲政治を重視したことで知られていますね。
福沢諭吉の「脱亜論」が、
日本がアジアを脱して欧米と肩を並べるべきだと主張したのに対し、
大隈はアジア諸国との関係を維持しつつ、
欧米の制度や技術を積極的に取り入れるべきだと考えていました。
彼の思想や政策を知るには、彼が残した演説や著作に目を向けるのが一番だと思います。
大隈は早くから開国主義を唱え、
日本が国際社会に積極的に関わるべきだと考えていました。
彼の演説をまとめた『大隈重信演説集』には、
日本の近代化や国際関係についての見解が数多く収録されています。
特に、日本が欧米列強と並ぶためには、ただ西洋化を進めるだけでなく、
国際協調の中で地位を築くことが重要だと説いているのです。
大隈重信の外交に関する考え方は、
「日本はアジアの中にある国でありながら、欧米の進んだ制度を取り入れ、近代国家として発展すべきだ」と言う考え方なのです。
福沢諭吉の「脱亜論」がアジアとの関係を切り捨てる考え方だったのに対し、
大隈はアジアの立場を考慮しながら
国際社会の中で日本がどのように振る舞うべきかを考えた点で異なっているのです。
彼は中国や朝鮮との関係も重視しつつ
欧米の知識や技術を積極的に導入することで、
国力を高めるべきだと考えていたと言う事になります。
そして
大隈は、日本が近代化するためには民主的な制度の導入が不可欠だと考えていました。
明治政府が藩閥政治を推し進める中で、彼は早くから立憲政治の必要性を説き、
政党政治の確立を目指していたのです。
その思想は『殖産興業と立憲政治』という形で表れており、
日本の発展には産業の振興と同時に、
国民の政治参加が必要であることを主張していました。
そして1882年には立憲改進党を結成し、自由民権運動を支援したのです。
これは後の日本の政党政治の基礎を作ることになりましたね。
明治憲法が制定される前から、
日本の近代政治には立憲主義が不可欠であると考え、
それを実現しようと行動していた点で、大隈の功績は大きいのではと思います。
福沢諭吉は「脱亜論」で、日本がアジアを捨て、欧米と協調するべきだと主張していたのですが、
一方、大隈は、日本がアジアに位置する国であることを忘れず、
欧米の文明を取り入れながらも、アジアの国々との関係を維持しつつ発展すべきだと考えていました。
これは、彼が外交官としても活躍し、国際関係を重視していたことと関係があるとおもいます。
また、福沢は政治制度よりも個人の啓発や独立精神を重視したのに対し、
大隈は日本全体の制度改革や政治体制の変革を重視していました。
政党政治の導入や立憲主義の推進に尽力した点が、
大隈の大きな特徴といえるのではと考えられます。
近代日本の礎を築いたと言える 福沢諭吉と大隈重信ですが、
二人の思想を改めて振り返ることで、
現代の日本がどのような国を目指すべきかを考えるヒントになるのではないでしょうか。
彼等が与えた思想が その後 どのように活かされていくのか???
は
明日に続く、、。