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2026.2.22
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 誰が古事記や日本書紀を書いたのか??
の話しでした、、。
今日は 天照大神の子供である神様の 神社が
福岡県 小郡市にあるのですが その話しに進みます、、。
小郡市に天忍穂耳命を祀る神社が、何故存在してるのか??
ですが、それは
「古代の筑紫(北部九州)という土地の性格」と
「地域豪族の祖神信仰」が関係している可能性が高いからです。
まず大前提として、北部九州は古代日本において極めて重要な地域でした。
大陸との交流の窓口であり、
ヤマト王権成立以前から政治・軍事・交易の拠点でした。
筑紫一帯には有力豪族が存在し、彼らは自らの正統性を示すために、
天孫系の神々とのつながりを強調する傾向がありました。
天忍穂耳命は、
天照大神の子であり、ニニギノミコトの父という“皇統の接続点”にあたる神です。
物語上は地味ですが、血統上は非常に重要な存在です。
地域の豪族が「我々は天孫の流れをくむ」と示す際、
天忍穂耳命を祀ることは理にかなっています。
特に北部九州は、ニニギノミコトが最初に降臨したとされる
日向(現在の宮崎)とも地理的に近く、
天孫降臨神話との親和性が強い地域です。
したがって、天照系の神を祀る信仰が広がる土壌がありました。
もう一つ考えられるのは、奈良時代以降の国家神道的整理の影響です。
712年の『古事記』、720年の『日本書紀』編纂後、
皇統神話が体系化されると、
地方にもその系譜に基づく祭祀が整備されていきました。
中央の正統神話と結びつくことで、地域の神社は格式や由緒を得やすくなります。
小郡市周辺は古代から交通の要衝でもあり、筑後川水系を通じて人の往来が活発でした。
交通の要地には必ず守護神が祀られます。
その際、単なる土地神ではなく、天照系の高位神を祀ることで、
より強い権威を持たせた可能性があります。
つまり、
・北部九州という古代政治的要地
・天孫系神話との地理的・思想的近接
・地域豪族の祖神意識
・奈良時代以降の国家的神話整理
これらが重なった結果として、
小郡に天忍穂耳命を祀る神社が成立したと考えるのが自然です。
重要なのは、天忍穂耳命は“物語の主役”ではないが、
“血統の要”であるという点です。
地方に祀られる場合、
むしろその「つなぐ神」という性格が尊ばれた可能性があります。