EXECUTIVE BLOG
2022.9.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日は A級戦犯の話で
彼らを裁く法律が 戦争の後に出来た法律によって 裁かれたので
この裁判自体が意味をなさないと言っていた 判事が当時いたのです。
それでも 無理やり裁判を行い 7人のA級戦犯が処刑されるのです。
この事からも これは 復讐裁判だったという事が分かると思います。
一方 何の罪もない 子供や女性迄も 無差別に殺戮した
原子爆弾を投下した 当時の米国大統領を裁かないのは おかしいではないのか?
と言う意見も出ましたが。
世の中 勝てば官軍で 勝った方の意見がまかり通ってしまうのです。
昨日の ブログで 12月23日が クリスマスイブと書いてしまいましたが
24日がイブですね
しかし 12月に入ると 世の中 クリスマスに向けて浮かれてしまっていますが
米国は 日本人が一生 敗戦国民である事を忘れさせない為に
イブの一日前の 当時 皇太子殿下の誕生日に合わせて 7人のA級戦犯の
処刑を行ったのです。
米国の読みは
皇太子殿下はいずれ天皇陛下にる、 そうすると 12月23日が天皇誕生日となり
国民が皆 お祝いをする日になる
その 日本人にとって 一番のお祝いの日は 日本人にとって忌まわしい戦争を
引き起こした戦犯の処刑の日として 焼き付けておけば
戦後 何十年と 日本人はその事を忘れる事が出来なくなり
二度と 連合国に対して 挑もうとする心を 根絶やし出来ると考えたのです。
更に振り返れば 建国記念日に起訴して 昭和天皇誕生日に 死刑判決を行ったのです。
日本人にとって 重要な日を敢えて狙って 起訴 死刑判決 処刑の日を合わせて来たのです。
そこまで 日本人に対して復讐したかったのか??? と
思うような事だと思います。
7人のA級戦犯のそれぞれの話は 後にするとして
面白い逸話が残っています。
米国の検事団が 戦争責任が誰に有るかを 元将校たちに対して調査をするのですが
多くの 元将校たちは 自分に責任が及ばないように 東條が悪いとか
他人に責任を押し付けるなか
陸軍の優れものと言われた 石原莞爾にたいして 同じ尋問を行ったところ
石原莞爾は
「この度の戦争の責任は 米国のペリーにある」と言い放ったのです。
これには 米国検事団も驚きました ペリーと言えば1853年でしたか
黒船で日本に来た提督です
終戦の日から遡ること 約100年前の人物の名前を出し このペリーこそに
戦争責任があると言ったのです
理由は
それまでの 日本は 鎖国を行い 平和な国家であったこと
それを ペリーが来て 無理やり日本に開国を迫った事で
やがては日本は軍事国家になり 戦争への道を歩む事になったので
この度の戦争の責任者を問われれば ペリーだと言う事を指摘したのでした。
歴史的に見て これはある意味的を得ているかもしれませんが
そんな事を 検事団が認めるわけには行きません。
石原莞爾自体も満州事変の時の首謀者の一人でしたが
その時の最高責任者の 板垣征四郎は 後に A級戦犯としてじんぶ
処刑されることになるのですが
この時も 立案作戦実行は 自分にあるので 処刑するならば 自分にしろ
とまで言っていたそうです。
この石原莞爾は 陸軍の天才と言われていて 東條英機を非難していた方だったので
連合国は それもあり 逮捕起訴しなかったのかもしれません。
このように 素晴らしい人物がいた一方で 自分に罪が及ばないように
他人に罪を押し付けていた人物がいたのです。
彼の証言で 人間として立派だった将軍も処刑されることになるのです
この 人物は 当時怪物とまで言われていたのです
その人物とは??????
それは??????
明日に続く、、、、。