EXECUTIVE BLOG
2023.2.23
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
東京駅にある二つの銅像の話で
一つが 「愛」と言う字が刻まれた銅像と
もう一つが 鉄道の父と言われた 井上勝の銅像の話でした。
今朝も東京駅前を通りましたので 二つの銅像を見ましたが
それぞれは 左右反対方向に建てられており
その二つとも 東京駅側を向いて建っています。
何度も通っている所ですが このように意識しないと分からないものです
で 今日は 鉄道の父の井上勝の話になる所でした
本日は 天皇誕生日です。
先ずは
天皇陛下のお誕生日を心からお祝い申し上げ
天皇皇后両陛下のご健康と皇室の御繁栄を心からお祈りさせて頂きます。
で 天皇誕生日にちなんで
本日はこの事についてです。
天皇誕生日が祝日となったのは明治となってからなのですが、
実は 天皇誕生日が無い年があったのです。
そんなわけない 天皇誕生日は国民の祝日だと思うかたも多いかと思いますが。
もう忘れてしまっているかもしれませんが
その年は つい最近の話なのですよ。
それは
平成から令和への改元は5月に行われたために、
令和元年は天皇誕生日のない年になってしまったのです。
つまり 令和は 5月から始まっていますので 今の天皇陛下の誕生日が過ぎてからに
なってしまっています。
そして 平成天皇は12月がお誕生日ですが 令和元年の12月は 平成天皇は退位されていますので 天皇誕生日の祝日にはならないわけです
という事で 令和元年には 天皇誕生日が無かったと言う事になります。
意外に気が付いてない方も多かったのではと思います。
天皇誕生日が祝日となったのは明治となってからですが、
明治元年はまだ旧暦のころで、
この年、新政府は慌てたように8月に「九月二十二日」が
当時の今上帝(明治天皇)の御誕辰の日であるから休日とするという布告を出したのです。まだ戊辰戦争が継続中のころの話です。
その当日の9月22日は明治帝は「京都から江戸への御遷幸の途上」であって、
つまり京都御所から江戸城へ遷る最中で、
まだ近江の土山宿にあり、そこで初めての天長節が祝われたのです。
「旅の途中の誕生日祝日」だったという事になります。
とうじの江戸の古老の話が残っていますが、
江戸にはまだ天皇陛下もおられないので、
庶民は誰も何の祝いをすることもなかったと、証言しています。
これは 当時の新聞記事に出ていたそうです。
そして、明治3年になっても天長節はまったく浸透しなかったため、
太政官布告でわざわざ
「みんなも陛下のめでたい日をお祝いしてください」
という達しをだしたそうです。
言われてみますと それまでは 将軍が一番偉いと皆思っていたのですから
納得できますね
この明治天皇の誕生日は いつだったと言いますと
11月3日です。
この日を聞いて 気が付くことがあるかもしれませんね
それは????
明日に続く、、、