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社長&顧問ブログ

2022.8.25

奥羽越列藩同盟

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 南北戦争の話から 話は飛んで

幕末の日本の話になりました。

 

南北戦争で余った武器が日本にも流れてきて それが戊辰戦争でも

使われていたのです。

 

で 今日の話は 幕府は 朝廷に大政奉還を行ったと言う話から

もし 幕府側が勝利していたら その後の日本は どうなったか??

の妄想の話へと展開します。

 

その前に少しおさらいを

 

徳川幕府は将軍を朝廷に返納した以上、もう幕府は存在しない事になります。

徳川幕府時代の大名たちは、当然元将軍家である徳川家に忠義を尽くすのか???

大政奉還された以上はこの国で一番偉いのは天皇ですから、

天皇側に付くべきなのかで悩んでいました。

 

新政府軍は 多くの大名が旧幕府側に付くことを恐れていました、

そこで新政府軍は、何と錦の御旗を掲げると言う秘策に出たのです。

 

この錦の御旗とは、天皇が朝敵討伐に渡す物なのです。

でこれを掲げた新政府軍は、天皇の命を受けた官軍であると主張しました。

という事は、

それに矢を向ける旧幕府は、元将軍と言えど賊軍となり、

旧幕府側に付いた諸藩は、賊軍と言う汚名を着せられる事になるのです。

 

話は又逸れてしまいすが 昭和の二・二六事件の時も

終戦の日の 宮城反乱事件の時も 立ち上がった部隊 軍人は賊軍になると

言われて 最後は兵を引いたのですから

この錦の御旗の 威力たるや 現代人には理解し難いものがあるのではないでしょうか?

続々と 旧幕府から新政府軍に寝返る藩が増える中

慶喜は、陣をはる大阪城から、江戸に逃げ帰ってしまい 謹慎し

恭順を誓うのでした。

 

しかし あくまでも抵抗の意思を示していたのが

会津藩だったのです。

 

前にも書きましたが 初代藩主の松平正之の残した家訓により会津藩が

新政府軍に平伏すなどありえなかったのです。

加えて旧幕府の象徴を新政府軍が許す訳にはいかなかったのです。

 

近隣の東北諸藩も会津藩と新政府の仲立ちをしようしたようですが、

東北諸藩も新政府から睨まれ始めてしまいます。

すると東北諸藩は新政府に対抗姿勢を見せ、

大藩である仙台藩主・伊達慶邦を盟主に東北31藩が立ち上がることになったのです。

 

これが 奥羽越列藩同盟と言われている同盟軍です。

 

しかし、31藩も纏まっていた訳ではなく、秘密裏に秋田藩などが新政府軍と繋がったりで

段々と同盟も崩れ行く事になったのです。

 

仕事で東北に行く事があったのですが

仙台や 山形の人が何故か 秋田を嫌っている感じがしたのですが

こういう事が理由の一つだったかもしれませんね

 

またまた話がそれますが

東北地方の県をよく見てみますと

県名と県庁所在地の名前が違う所が多いと思います。

他にも愛知県は名古屋だし、、、、

 

これは一体何故なのか??????

 

 

明日に続く、、、、。。。

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