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2024.6.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 儒教の話でした。
色々な教えを説いた方が 孔子ですが
日本にも いつくか孔子廟があるのをご存知でしょうか?
孔子廟は、儒教の思想家である孔子を祀るための霊廟で、
主に儒学の学校や私塾に付随して建てられていました。
例えば、東京都にある湯島聖堂は、江戸時代に儒学を広めるために設けられた場所で、
孔子を祀っていますね、
また、長崎にも孔子廟があり、明治時代に中国の総本山並に伝統美あふれた建物が作られました。
湯島聖堂は 東京中央線のお茶の水駅を降りたところにあり
中に入ると ここは東京かとおもうようなくらい閑静な場所で落ち着きます
中に大きな孔子様の石像がありますが 気を付けないとどこに在るんだと思います。
長崎の孔子廟は 中華街から少し歩いたところにあり こちらは観光客で賑わっていて
東京は無料で入れますが 長崎は確か有料だったと思います。
日本では、孔子は「子曰く」の「論語」でおなじみですが、
論語は孔子の生前の教えを弟子たちが本にしたもので、
孔子自身の著作物ではないのです。
ご承知の通り、
儒教は紀元前5世紀ごろに中国で活躍した思想家、孔子を始祖とする教えですが
日本では論語の影響もあって、儒教は中国の古典的な思想体系とされています。
しかし
本場中国では、儒教は仏教や道教とならぶ主要な宗教として
「三教」のひとつとして扱われているようです。
そもそも儒教の「儒」には
「原始的な宗教によって雨乞いなどの祈祷を行う巫女」という意味があるのです。
一説には、孔子の母も身分の低い「儒」だったと言われています。
孔子は「儒」が伝えたシャーマニズム的な古代信仰をベースに、
歴史的な名君の政治思想を取り入れて、
宗教性と倫理哲学をあわせ持つ理想の教理を作りあげたのです。
その教えが儒教になったと言うわけですね、、、、。
この儒教が日本にもたらされたのは 仏教伝来と言われる西暦645年より前の
西暦513年ごろ日本にもたらされたと言われており
当時は大陸伝来の先進的な学問思想として国家統治に大きな影響をもたらしたのでした。
孔子が生きていた時代は 紀元前500年頃ですから
日本に伝来したのは それから1000年もあとと言う事になります。
そして その教えは 2024年現在も通用しているわけですから
何とも凄い教えだと思うのです。
では 何故 孔子はこのような教えを作る事になったのか????
それは???
明日に続く、、、。