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社長&顧問ブログ

2024.7.21

宇佐神宮

 

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 神社には大元があると言う話でした。

 

我が福岡県の 櫛田神社も 松坂の櫛田神社がその元であると言う説があります。

 

そして 神社の中でも よく見かけるのが 八幡神社です。

 

大体全国どこへ行っても 八幡神社をよく見かけますね

それもそのはずで、全国に40000社あるそうです。

 

神様に怒られそうですが 40000社と言う事は 国内にある ラーメン屋の数より

多いのです。

 

そして その八幡神社の総本山が何故か九州の大分県宇佐にあるのです。

そもそも「宇佐」の地名は九州で最初に大和朝廷の配下に入った豪族の名前に由来しているそうです。

 

571年、八幡神と言われる応神天皇のご心霊が宇佐の御許山に現れました。

しかし、ここではまだ宇佐地方の氏神という存在で、地方の神社の一つにすぎなかったのです。

 

日本史でも習ったと思いますが 701年、大宝律令が制定されましたね、、

この頃、朝廷は律令国家の建設を目指すものの、隼人と呼ばれる南九州の人々が反発していたのです。

 

そしてついに720年、隼人の反乱が起きたのです。

その時に朝廷軍が八幡神の御神体を戦勝祈願を目的として戦場へ持込み、

反乱軍を制圧しました。

普段は神社の神殿に鎮座する神様を移動させる「神輿を担ぐ」と言う行為が

この時に始まったのです。

 

今では お祭りがあると神輿を担いでいますが そのルーツはここにあったのですね、、

 

そして朝廷は、隼人の乱の後、多くの人を反乱で殺してしまったことを悔いたことから、八幡神社で殺生を戒める放生会が始まります。

放生会はもともと仏教の戒律に由来してましたが、これが日本の神仏習合のルーツとなったのです。

 

その後、725年に現在の地に宇佐神宮が作られたと言うわけです。

 

つまり、殺生を戒めたり、死者を供養するような仏教の文化を神社で始めたさきがけが宇佐神宮ということになるのです。

 

この宇佐神宮 後に 東大寺にも関係します。

 

 

この話は 頭を整理して

明日に続く、、、。

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