EXECUTIVE BLOG
2025.2.2
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは
ハワイ王家と日本の皇室との縁談についての話しでした
今日は 移民政策についてですが
その前に ハワイ王朝は 何代何年続いたか?? の話を先にします
王朝と言うので 日本のように 長く何千年もと思いがちですが
ハワイ王朝(ハワイ王国)は、1810年から1893年までの83年間 程なのです。
王国を統治したのは 8代の王 で、
最初の王は カメハメハ大王(カメハメハ1世だったと言うわけです。
簡単にハワイ王朝の歴代国王(8代)をみてみますと、、
初代、カメハメハ1世(在位:1810年 – 1819年)
ハワイ諸島を統一し、ハワイ王国を建国した偉大な王
二代カメハメハ2世(リホリホ)(在位:1819年 – 1824年)
彼はカプ(伝統的なタブー制度)を廃止し、ハワイ社会を大きく変えた方です。
三代目がカメハメハ3世(カウイケアオウリ)(在位:1825年 – 1854年)
ハワイ王国初の憲法を制定し、近代化を進めました。
四代目はカメハメハ4世(アレクサンダー・リホリホ)(在位:1855年 – 1863年)
医療・教育改革を推進し、クイーンズ・メディカル・センターを設立などした方です。
五代目はカメハメハ5世(ロツ)(在位:1863年 – 1872年)
強権的な政治を行い、憲法改正を進めたが後継者を指名せずに崩御されました。
六代目はルナリロ王(在位:1873年 – 1874年)
民選の王として即位するが、病によりわずか1年で崩御されます。
七代目はカラカウア王(在位:1874年 – 1891年)
「メリーモナーク(陽気な王)」と呼ばれ、日本との同盟を模索された方です。
そして最後の八代目がリリウオカラニ女王(在位:1891年 – 1893年)
ハワイ王国最後の君主で、
1893年、アメリカの支援を受けた白人勢力によって王国が崩壊させられ
リリウオカラニ女王が退位させられ、王国は実質的に終焉するのです。
その後、1898年にハワイはアメリカ合衆国に併合されました。
こうして、ハワイ王朝は83年・8代で幕を閉じることになったと言う事になります。
このまま 王朝として繁栄して欲しかったとおもいますが、、、。
それで 王朝初期に日本との縁談は上手く行きませんでしたが
その代わり 移民として日本人を受け入れる事を日本は提案される事になるのです。
当時、ハワイでは サトウキビ産業が発展 していましたが、労働力が不足していました。
そこで、カラカウア王は日本政府に「日本人をハワイに移民として送ってほしい」と依頼します。
明治政府も 「日本人の働く場所が増えるのは良いことだ」 と考え、
ついに 1885年、最初の日本人移民がハワイへ渡ることになりました!
これが 「官約移民」 の始まりなのです。
この1885年、最初の移民943人 が日本を出発し、ハワイへと向かいました。
彼らの多くは 貧しい農民や職人 でした。契約では、サトウキビ農園で働き、
5年の労働の後には帰国できる というものでしたが、
実際には 多くの移民がそのままハワイに定住 しました。
ハワイ移民の多くは 西日本(広島・山口・熊本・福岡・高知など) 出身が主でしたが、その理由はいくつかあります。
① 明治政府の移民政策
当時、移民募集は主に 西日本の県 を中心に行われました。
西日本は人口が多く、余剰労働力があった
貧しい農村が多く、新天地での仕事を求める人が多かった
長崎や神戸など、西日本の港からハワイ行きの船が出やすかった
② 西日本は「出稼ぎ文化」が根付いていた
もともと西日本の人々は 「遠くで働く」ことに慣れていました。
例えば…
瀬戸内海の漁師たちは、遠くの漁場まで出稼ぎに行っていた 高知や熊本の農民は、収穫が終わると都市へ働きに行っていた
だから、「ハワイで仕事がある」と聞くと 「よし、行ってみよう!」 と思う人が多かったと言われています。
③ 広島・山口・熊本出身者が特に多い
広島・山口 → 瀬戸内海沿岸は土地が狭く、貧しい農村が多かった
熊本 → 火山が多く、農業が厳しかった
福岡 → 炭鉱や漁業が不安定で、安定した収入を求める人が多かった
こうした背景から、ハワイ移民の大半は 西日本出身者 となったようです。
ハワイに渡った日本人は 苦労しながらも、新しい生活を築きました。
ハワイでは
神社や仏教寺院を作り、日本の伝統を守る
おにぎりやうどんがハワイの食文化に影響を与える
盆踊りやお祭りが定着し、今もハワイの日系文化として残しています。
そして、彼らの子孫たちは ハワイ社会の重要な一員 となり、
現在も多くの日系人がハワイで活躍しているのです。
もし カラカウア王と明治天皇の縁談が成立していたら…
ハワイと日本の関係はまったく違うものになっていたかもしれません。
しかし、結果的には 日本人移民という形で強いつながりが生まれた のです。
「歴史にもしはない」と言いますが、こうした 偶然の積み重ねが今のハワイと日本の関係を作った と思うと、なんだか感慨深く感じます。
明日は
日本人も良く訪れるあの場所の話しへ、、、、
続く、、、。