EXECUTIVE BLOG
2024.11.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 南極点への到達よりも エベレスト登頂の方が 遥かに困難だった
と言う話でした。
その困難な場所へ 日本人では植村直己さんが 成功し 女性では田部井淳子さんが
女性としては初めて登頂に成功し
また 三浦雄一郎さんが 最高齢での登頂に成功しています事を知りますと
日本人としての誇りを感じますね、
人類としてまだまだ未踏の地はあります
今後 火星に最初に到達する国 人物が どうなるのか?? 興味が湧きますが
私が生きているうちに 現実化するのか??? は不明です。
先の事は分かりませんが 過去の話は 決まっていることなので 分かりやすいですね
しかし 先にも書いた 古事記や日本書紀などは 書かれた事は事実ですが
中身が本当なのか? 誰が どこを調べて書いたのか??? までは分かってないところが多々あるようです。
そもそも 文字と言うのがいつ出来たのか? 全て漢字で書かれていますが
それをどこでどのように覚えたのか??? 興味が尽きませんね
それでも 人類は少しづつ進化して 文字を覚えて行き
平安時代にまでなると 清少納言や紫式部と言う 今で言う所の作家が現れて来るのです。
彼女たちが書いた書物を読む事で 平安貴族の出来事が分かりますが
時代が如何に進化しても 人の心は 今も昔もそう変わらいのではと思ってしまいますね、、
では 清少納言は 何故枕草子を書いたのか??・ の話しですが、、
枕草子の正確な執筆時期はハッキリしていないのですが、
枕草子の内容から察すると、西暦995年頃に書き始め、1001年頃には完成していたのではないかと思われているようです。
何故 これを書いたのか??ですが
登山家的発想で言えば 「そこに紙があるから」 なんて答えが返ってきそうですね、、
冗談のようにも聞こえますが 理由はそう遠くはないのです。
清少納言が枕草子を書いた動機は、当時とても貴重だった紙を手に入れたからだと言われているのですよ。
清少納言は宮廷で働いており、天皇の后である『定子』という女性にお仕えしていました。その定子から紙を貰い受け、その紙に日々感じたことなど綴っていたそうなのです。
清少納言は定子に強い尊敬の念を抱いており、
定子にとっても清少納言はお気に入りの付き人だったにです。
そんなある日、清少納言と定子の間で以下のようなやりとりがありました。
一冊の今で言う所のノートのようなモノを持っていた定子は清少納言に語り掛けます。
定子は
「この冊子に何を書こうか迷っているのですが、何を書けばいいでしょう?」
と清少納言に聞きます。
すると清少納言は次のように答えます。
「それは枕でございましょう」 と
一見、清少納言がトンチンカンのように言っているように思えるのですが、
清少納言の回答にはしっかりとした意味があり、
実は「書を枕にして眠る」という漢詩の一節を切り取ったものなのだったのです。
実は、このやりとりの解釈には諸説あるのですが、
一説には清少納言と定子だからこそ分かる知的な表現が含まれているとも言われています。
簡単にいうと、
清少納言の回答は中国の詩人『白居易』の詩文集『白氏文集』にある一節
『書を枕にして眠る』という一文を引用したものだったのです。
『書を枕にして眠る』とはどういうことかというと・・・
枕は毎日寝る時に使う身近なものですよね、
そんな枕元にいつもこの冊子を置いておき、その日に気が付いたこと、
感じたことを常に書き留めておくと良いですよ。
という意味になります。
これ以後の話は また明日へとなりますが、
モノを書くと言う事は その前に 沢山の書物を読む事が必要で肝心な事なのだと
いう事に気が付きます。
中国の難しい書物を読むには それなりに勉強をしなければなりませんし
その過程で 漢字やその意味を知る事が出来るのです。
清少納言もそれまでにかなり勉強していたことがうかがい知れますね、、
と言う事で
定子 と 清少納言のその後については
明日へ続く、、、、。