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社長&顧問ブログ

2023.7.5

宮沢賢治

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日からは岩手県の話になりました。

 

岩手のスーパースターと言えば 今では大谷翔平さんでしょうが

その昔は やはり 宮沢賢治が一番有名だったのではと思います

数々の童話を残していますが 意外に若くして亡くなっていますね、、。

 

1933年にお亡くなりになっていますので

今年は没後90年と言う事になります。

 

今では 宇宙は身近になって来てますが 彼の時代に 何故銀河鉄道を書いたのか?

気になりますね。

 

銀河鉄道と言えば 最近のアニメの 銀河鉄道999の方を先に思いうかべてしまいますが、

この物語の奥には 本当に幸せを求める と言う事がテーマになっているようです。

 

宮沢賢治自身 信仰心に篤かったようで

注文の多い料理店にも命の大切さを訴えているようです。

 

また 殆どのかたがご存知の

「雨ニモマケズ」

実はこの詩には、モデルがいるのです。斎藤宗次郎というクリスチャンだそうです。

 

キリスト教思想家の内村鑑三の弟子で、忠誠心は高く、内村が死ぬ直前までお世話をしたといいます。

宮沢賢治とは出身地が同じ岩手県で交流があった方だそうです。

 

宮沢は斎藤に憧れ、自分の弱さがにじみ出たものが「雨ニモマケズ」だったのでしょうね。

 

それから宮沢賢治は他者救済の理念に満ちた法華経に深く共鳴したと言われています。

 

この法華経において特筆すべきは、賢治が生涯にわたって体現し見習おうとした

「常不軽菩薩」の姿があります。

法華経の第20章に、この「常不軽菩薩」のことを説明している章があります。

 

常不軽菩薩には、読んで字のごとく「常に人を軽ろんじない」という意味があります。

 

この常不軽菩薩は、町に出ては行きかう人々に常に合掌をして、

「私はあなた方を常に敬い、決して軽んじません。

なぜならばあなた方は皆、菩薩業を積み、将来きっと仏になる方々だからです!」

と礼拝をした菩薩です。

 

このために、みんなからは煙たがれ、そしられ、嫌がられ、棒で叩かれたり、

石を投げつけられたり、たくさんの迫害を受けらました…。

それでもこの常不軽菩薩は、決してこの合掌礼拝をやめようとはしませんでしたということです

 

賢治が目指したのは、まさにこの常不軽菩薩の精神であり、生き方だったのかもしれません、

 

この精神は 多くの岩手県民に受け継がれているのでは????

と思う不思議な光景に出合ったことがあります

 

その不思議な光景とは????

 

 

明日に続く、、。

 

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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