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社長&顧問ブログ

2022.5.19

寛永寺

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは

徳川家のお墓の話に なってしまっていました

その前の 保科正之の家訓の話も そのままですが 徳川家の恐ろしいくらいの

先を読む計画が このお墓の話からも読み取れるのです。

 

本来であれば 徳川家の菩提寺は 芝増上寺で 何故 最後の将軍は

谷中霊園なのか? についてもそのままですが

 

その前に 徳川家康の墓が 何故日光にあるのか? そして そこはお寺ではなく

日光東照宮と名付けられたか?

宮とつくから 当然寺ではないですね

 

今日は そのあたりの話を紐解いてみたいと思います。

昨日も書いたように

家康は菩提寺のある浄土宗の増上寺ではなく、神社に埋葬されたという事になります。

これには一体どんな意味があったのでしょうか?。

何故神社に埋葬されて 何故神になる必要があったのか??

家康は 子々孫々まで 徳川家が日本を統治できるための あらゆる政策を

考えていたのですが

亡くなる直前に ある事をしていなかった事に気が付くのです

そして このある事をしないが為に 将来 徳川家滅ぼされる恐れがあると

はたと 考えたのです

その為の 日光東照宮に埋葬される道を決めるのですが

この恐ろしいまでの企てとは 何か???? は

今回の話が終わってからに続けますとして

 

まず「仏教」と「神道」についての話になります。

 

仏教というのはお釈迦様が2500年ほど前に

インドで悟りを開かれた事を起源とする宗教ですね。

対して神道というのは日本に古来より根付いていた山や川や草木に神様が宿っているという考えをベースとした宗教です。

仏教にとっての宗教施設は「寺」。

神道における施設は神社となります。

信仰の対象は仏教は「仏」で、神道は「神」だという事です。

 

先ほどのヒントとして家康の狙いが少し見えると思います。

なぜ寺に埋葬するのではなく、わざわざ静岡を経由して富士山を通り、

日光の神社に祀るように指示したのか。その狙いが見えてきます。

 

つまり、家康は江戸幕府を作った天下人として、

死後において「神」となりたかった、というわけです。

 

自身の威光を死後も保ち、江戸幕府繁栄にも繋がるようにと考えて、

自身を神格化する必要があったのです。

この自分の死後、埋葬の手はずだけでなく、神格化への意図を含めてこのように設計しているという事は何を意味するかが分かれば 神格化の意味も見えてくると思います。

 

ちなみに、三代家光が祀られているのは東照宮と同じ敷地内の輪王寺です。

これは天台宗のお寺で、家光はそこに祀られています。

これについては、家光は家康の事を大変尊敬しており、そこから本人の希望もあって日光に埋葬されたようです。

 

今一度整理しますと

寛永寺には4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定の6人が埋葬され、

対する芝の増上寺には2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人が埋葬されています。

 

家康は神格化の為、日光に祀られた事と、家光は家康を慕っていたので同じく日光の輪王寺に埋葬された事は理解できたとして、

それ以外の12人の将軍たちはなぜ寛永寺と増上寺に分かれて埋葬されているのでしょうか????。

 

そもそも徳川家の菩提寺は浄土宗の増上寺ですね

 

その訳は????????

 

それは

 

明日に続く、、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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