EXECUTIVE BLOG
2023.12.1
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 旧制高校の話でした
旧制高校は 当時の超エリート校で 一高、東大はその中でも一番位が高いと
言われていました。
この旧制高校は 戦後廃止され 新制高校制度へど変わりましたので
今の時代の人達に 旧制高校の話をしても一体 それは 何??? って感じです。
しかし 戦前から戦中にかけて 旧制高校に通っていた方に共通していたのは
まさに彼らの 青春時代で 勉学に励むとともに 日本の将来を論じていたのです。
当時の学生の殆どは 寮で生活していましたので 深夜まで色々な議論を戦わせて
いたようです。
そんな彼らも 戦後になると 自分たちの学校が無くなってしまったわけですから
寂しくてたまらなかったと思います。
今では 各高校は OB会が盛んですが
旧制高校の出身者は OB会を行うように 戦後寮歌祭を行うようになりました。
各旧制高校のOB達が 一同に会して 自分たちの寮歌を声高らかに歌って
若き青春時代を皆で懐かしんでいました。
私も何度か 父に連れられて この寮歌祭に参加したことがありますが
皆 歳をとったとは言え 当時の寮生の格好で マントを羽織り高下駄を履いて
肩を組み合っていました。
しかし 戦後からは 卒業生がいませんから年々 参加者も高齢になりますし
やがて亡くなるかたも増えてきます。
当時の寮生の最後でも 100歳近くなっていますので
まさかその年齢の方が集まって の寮歌祭の開催は無理だと思っていましたら
どうも その元寮生の二世 三世が参加して 自分達の父や祖父の出身の寮歌を
代わりに歌う事で 寮歌祭を続けていたそうです
それでも 平成20年くらいを最後に幕を閉じたと耳にしていたのですが
それがなんと この令和の時代に 東京で久しぶりに開催をしたと言うニュースを
目にしました
勿論 当時の寮生は殆どいなかったでしょうが なんと 99歳の元寮生の方が
参加して 高らかに母校の寮歌を唄っていたそうです。
歌っている時は 99歳の齢の事など忘れて 18歳の頃に気分は戻っていたと思います
少しでも長生きをして引き続き この寮歌祭を盛り上げて頂きたいと思います。
当時の寮歌の文言を紐解くと当時の若者の意気込みがそこから見えてきます。
最後の方の寮生の多くは 不幸にも 太平洋戦争末期に
ペンを捨てて 学徒動員と言う形で 戦地へ赴かなければなりませんでした。
当時 18歳前後の 少年が学問を捨てて 戦地に向かった時の気持ちは如何だったのか?
と思います。
今で言えば 高校3年生が突然戦争に行かされるわけです。
そして その多くが戦地で亡くなっています。
日本を動かすであろう若きエリートたちをみすみす戦地に行かせた 当時の軍部の
やり方に疑問を感じます。
学徒動員を雨の神宮球場で行っている映像を時々目にすることがあるかと思います。
https://youtu.be/VghcG8Ih7Q4?si=Fr_utUQtknL2CGzh
どんな思いで 行進していたのでしょうか???
平和が一番ですね
平和にはやはりスポーツです
ここで やっと野球に話が戻せそうです、、、。