EXECUTIVE BLOG
2022.12.9
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 水戸黄門様の話で
ドラマの中で 黄門様が 葵の印籠を出しても 平伏さなかった人が
居たと言う話でした。
当時は 徳川家は 征夷大将軍で幕府を開き 日本最大の権力を
持っている家でした。
それで 葵の御紋に従わなければ 反逆者とみなされ
大名であればお家取り潰しや庶民であれば思い処罰が待ち受けていました。
それなのに それをものともしない人が居たとすれば それは 徳川家と言えども
天皇の家来だと考えている朝廷側の人間です。
幕末は 外国から開国を求められだすのですが
そのあたりから 水戸藩は尊王攘夷を謳うようになりました。
では この尊王攘夷とは???? ですが 学校で習ったと思いますが
おさらいの意味で、、、、。
尊王…朝廷、つまり天皇を尊とうとび、崇拝すうはいする思想。
攘夷…夷狄いてき(外国人)は危険だから、武力で追払い、
独立国家を継続しようという思想。
上記の二つの思想が合わさって「尊王攘夷」ということになります。
実はこの考え方水戸藩から生まれました。
皮肉にも水戸藩から生まれた尊攘思想が、時代の流れとともに「倒幕」へと、過激に変化していくことになりました。
家康にしてみれば 自分の子孫から 倒幕思想がでるとは 夢にも思っていなかったのだと思います。
永遠に徳川幕府を続けるために あれこれ手を尽くして来たのです
参勤交代 武家諸法度 禁中並公家諸法度 等など 規則を作り
最後は 自分自身が神になる事を思いつき 東照宮を造り権現様となるように
手を打ったのです。
それを それを 何たることだ! と 生きていれば頭を抱えていたと思います。
それでは 何故 徳川御三家の水戸藩に そのような思想が芽生えたのか???
に話は進まなければなりませんが、
この尊王攘夷の思想が 明治維新の原動力になり
それが どんどんエスカレートしてしまい 悲劇の太平洋戦争に繋がって行ってしまったのです。
昨日12月8日は もう最近の人は何の日かすら知らないと思いますし
ニュースでも取り上げられなくなってますが
昭和16年 12月8日に 日本軍が真珠湾攻撃を行い 太平洋戦争の幕が切って落とされた日です。
当時の昭和天皇は 戦争を望んでいなかったのにも関わらず 軍部の暴走により
戦争が始まる事になるのですが
当時の 政府軍部と言えども この無謀な戦いは避けたかったのです
しかし ついに 戦争に突入してしまったのには 日本側にも理由があったのです
その訳とは???
本来は 水戸国学ぬについて 更には 延び延びになっている
御三家筆頭の尾張藩から 何故将軍が出なかったのか?
はたまた 武家諸法度に背いたとみなされた大名はその後どうなったのか????
等など ありますが
ちょっとそれて
真珠湾攻撃は 何故なされたのか?????
当時作戦指揮官だった 源田実中佐は何をしたのか???
等は
明日に続く、、、。