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社長&顧問ブログ

2024.1.20

山形専称寺

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは お茶の話しから

スペイン ポルトガルの話しでした。

 

スペイン ポルトガルは 競って 植民地政策を推し進めていましたね

インカ帝国をスペインが滅ぼした話などは 世界史で何となく学びましたが

 

何故 簡単に滅ぼされたのか? とか そこに復讐心は芽生えなかったのか?

そもそも 一人残さず殺してしまったのか?? とか

興味は尽きませんね

 

実は 先日日光東照宮の話を書いていた時 左甚五郎の彫り物の話がありました。

有名なのは 日光の 眠り猫 です

 

私が以前 山形を訪問した時に 山形市内にある専称寺と言うお寺の見学をさせて頂きました。

 

なにか 又スペインの話から逸れてしまっていますが

先ほどの復讐心の話にも繋がるので ちょっとこちらの話に、、、、

 

この専称寺には 非業の死を遂げた駒姫のお墓があるのです

この寺にも 彫り物があって これが左甚五郎作だと聞いた事があったのですが

眠り猫の話は 徳川家康が亡くなった後の話です。

駒姫が亡くなったのは家康が亡くなる21年前ですから 左甚五郎はそんな前から彫り物師ととして有名だったのでしょうね。

 

その彫り物の話は後日と言う事にして

 

この駒姫 何故非業の死を遂げたかと言うのが今日の話になり

それと インカ帝国滅亡の話しと どう繋がるのか?? は お楽しみと言うことで

まずは 駒姫の話から、

 

日本史に詳しい方ならご存知かもしれませんが

豊臣秀吉の時代に一つの大きな悲劇が起こりました。

その中心人物が「駒姫」の話なのです。

駒姫は1579年、最上義光の二人目の女の子でした。彼女はあの伊達政宗の従姉妹でもあります。父親の最上義光は伊達政宗の母、義姫のお兄さんになる方です。

 

駒姫はとにかくとても美しく、東国一と言われた美少女でした。

その噂は京へも届き、時の関白、羽柴秀次の耳にまで届いてしまったのです。

これが全ての悲劇の始まりでした。

 

羽柴秀次といえば、天下人、豊臣秀吉の甥にあたります。しかも、時の関白で

権力をほしいままにしてたとっても偉い人です。

 

東国に駒姫というとても美しい少女がいると耳にした秀次は、

すぐに最上家に対して「側室によこせ」と言ってきたのです。

 

そんな人から側室にと言われてしまうと、なかなか断れるものではありません。

 

それでも、義光は粘りに粘って、何度もくる使者に断り続けていたのです。

しかし、あまりにもしつこくて、とうとう根負けしてしまうのです。

 

とにかく娘が15になるまで待ってくれと。そうしたら京へ向かわせるから、と約束したのでした。

 

父親である義光は 最後まで我が娘が可愛く 最後まで手放したく粘りに粘りましたが

 

運命の文禄4年。義光はしぶしぶ、泣く泣く、駒姫を京の秀次の元へと見送ったのでした。

 

その後 どうなったのか??

そして インカ帝国との話はどう繋がって行くのか????

 

 

明日へ続く、、、。

 

 

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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