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社長&顧問ブログ

2022.7.30

崇徳天皇とサッカーミュージアム

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 日本三大怨霊の中の

藤原道真から平将門の話になり

将門は 何故 首と胴体が別々に葬られたのか?? と言う話になり

その 埋葬方法は 日本古来からかる 怨念を封じ込める為だったと言う話でした

 

怨念を封じ込める埋葬方法の中には

あえて 四辻の真ん中に埋めると言う埋葬法もあったそうです。

何故 道の真ん中に埋めるのかと不思議に思いましたが

古来から 人々は悪霊が出て来て 悪さをしないために

あえて 人通りが多い 道の真ん中に埋める事で そこが踏み固められ

出て来れないようにしてしまえば良いという発想から生まれた埋葬方法だったようです。

 

今聞けば 笑い話のような話ですが 古来から 人々は悪霊に対して恐怖心を

抱いていたようですね

 

それで 自分たちの手で 追いやったり 殺したりしたのにも関わらず

怨念が出て悪さすると言うと 慌てて神様にしてしまうとか考えるのは

今思うに 滑稽に感じますが 当時の人々にすれば必死の思いだったのでしょう。

 

で 今日は いつまでも将門の話を引っ張るわけにも行きませんので

三大怨霊の中なの一人の 崇徳天皇の話に進みたいと思います。

 

先ず 崇徳天皇が サッカーの神様という事をご存知でしょうか???

昔の天皇が 何故サッカーの神様なの?? と不思議に思いますね

 

東京には サッカーミュージアムと言う博物館がありますが

この博物館は 崇徳天皇と縁がある神社の側にあるのです。

何故 そんなところに建てたのか??は

 

崇徳天皇の怨霊話を紐解いていくと理解できるのです。

 

という事で

今日からは 崇徳天皇の話に進みたいと思います。

 

日本には歴代何百人という天皇がいます。

崇徳天皇はその歴代の天皇の中でも、

おそらく5本の指に入るほど不幸な生涯を歩んだ天皇だと言われています。

 

崇徳天皇の不幸は、その生い立ちから始まりますが

この生い立ちについて 何度か 学校の日本史で習ったのですが

入り組んでいて 頭に入らずじまいでした。

 

最近 本などを読み直して 頭を整理してみました。

 

崇徳天皇は1119年、第74代天皇の鳥羽天皇と藤原璋子との間に生まれた子供でしたが、

母である藤原璋子が何かと評判の悪い女性だったようです。

 

藤原璋子は、第72代天皇で 後の白河法皇の養子として育てられたのですが、

その美貌から白河法皇とは愛人関係にあったと言われていたんです。

その後

白河法皇は、その藤原璋子をなんと自分の孫に当たる鳥羽天皇に嫁がせるのです。

 

つまり、白河法皇は孫に自分の愛人を嫁がせた・・・という事になるのです。

 

そのため、鳥羽天皇と藤原璋子の間に生まれた崇徳天皇は、

 

 

 

鳥羽天皇の子じゃなくて、

実は藤原璋子と愛人関係にあった白河法皇の子供では??と言う噂が出て来たのです。

 

もちろん噂であってその真偽は不明のままです。

 

しかし、

少なくとも鳥羽天皇は、息子である崇徳天皇のことを生涯忌嫌っていたのは

事実のようです。

 

これだけで この先 どうなって行くのか不安になりますし

実際 この事が原因で

崇徳天皇は 怨霊となってしまうのです。

 

では

この後 崇徳天皇には どのような運命が待ち構えていたのか????

 

それは??????

 

明日に続く、、、、。

 

 

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