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社長&顧問ブログ

2026.11.4

師の志を受け継いだ人たち

高光産業株式会社

妹尾八郎です

 

753年、念願の日本上陸を果たした鑑真。

翌754年には奈良の都に入り、

東大寺で正式な戒律を授けるための活動を始めました。

 

やがて759年、鑑真は新たな修行の場を開きます。

それが、現在も奈良に残る唐招提寺です。

 

唐招提寺といえば、奈良時代の建築美を今に伝える、

実に美しい寺院として知られています。

 

しかし、現在の姿が鑑真一人の手によって完成したわけではありません。

寺院が開かれた当初は、まだ十分な建物がそろっていませんでした。

 

そして763年、鑑真は生涯を閉じます。

日本に渡ってから、およそ10年後のことでした。

 

鑑真は、

自らが開いた寺院の完成した姿を見ることなく、

この世を去ったのです。

 

ここから、もう一つの大切な物語が始まります。

 

鑑真の弟子に、如宝という人物がいました。

如宝は、

師の亡き後も唐招提寺の整備に力を尽くし、

現在も国宝として残る金堂の完成に尽力したと伝えられています。

 

師が亡くなったからといって、

その仕事が終わったわけではありませんでした。

 

むしろ、

残された人々にとっては、そこからが本当の責任だったのかもしれません。

 

私は、この話に大きな意味を感じます。

世の中には、

自分が生きている間に

すべてを完成できる仕事ばかりではありません。

 

長い時間を必要とする仕事があります。

一人の力では実現できない仕事があります。

次の世代、そのまた次の世代へと受け継いで、

ようやく形になる仕事もあります。

 

鑑真が日本へ渡った目的は、

立派な建物を残すことだけではなかったはずです。

 

人を育て、知識を伝え、その教えを未来へつなぐこと。

その思いが弟子たちに伝わったからこそ、

唐招提寺は今日まで受け継がれてきたのでしょう。

 

そして、鑑真の弟子には、もう一人、忘れてはならない人物がいます。

忍基という僧侶です。

 

忍基は、鑑真の死期が近いことを感じ取り、

その姿を後世に残そうとして、

肖像制作を指導したと伝えられています。

それが、現在、国宝となっている「鑑真和上坐像」です。

 

穏やかな表情をたたえ、静かに座る鑑真の姿。

そこには、

弟子たちの深い敬愛の気持ちが込められているように思えます。

 

自分たちを導いてくれた師の姿を、後世に残したい。

その思いが、1300年近い歳月を超えて、

今も私たちに鑑真の面影を伝えているのです。

 

さらに時代が下ると、

日本画家の東山魁夷もまた、鑑真に心を寄せた一人となりました。

 

東山画伯は、

唐招提寺の御影堂に、10年以上の歳月をかけて障壁画を制作しました。

 

そこには、日本の山や海ばかりでなく、

鑑真の故郷である中国の風景も描かれています。

 

私は、このことにも心を動かされました。

 

鑑真が亡くなってから1200年以上もたってなお、

一人の芸術家がその人生に思いを寄せ、

長い年月をかけて作品を完成させたのです。

 

人の生き方というのは、

時代を超えて誰かの心を動かすことがあるのでしょう。

 

鑑真が残したもの。如宝が完成させたもの。

忍基が形に残したもの。

そして東山魁夷が絵筆に託したもの。

 

それぞれの時代に生きた人々が、同じ人物の志に心を寄せてきました。

 

私たちは、自分の人生の中で、

つい自分が何を成し遂げたかを考えがちです。

 

しかし、本当に大きな仕事とは、

自分一人で完成させるものではないのかもしれません。

 

自分が始めたことを、誰かが受け継いでくれる。

そして、

その人がさらに新しい価値を加えてくれる。

そこに、

人間が社会の中で生きる大きな意味があるように思います。

 

自分が完成させることだけが成功ではありません。

自分がいなくなった後も、誰かが続きを歩んでくれる。

そんな仕事を残せたなら、

それもまた立派な人生ではないでしょうか。

 

今回の話しは、ここで終わりではありません。

実は、私が不忍池で見つけた鑑真の銅像は、

今からわずか4年前、2022年に建てられたものだったのです。

 

そして、その建立には、

日本と中国の人々の新たな出会いがありました。

 

その出会いとは?????

それは????

 

明日に続く、、、、。

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