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社長&顧問ブログ

2021.10.25

幻の万世橋駅

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

日露戦争の英雄 広瀬中佐の話でした。

 

後に彼は 軍の神様 すなわち軍人として祀られ

後に大分県竹田市に 広瀬神社が建立されたのでした。

 

 

彼は 203高地作戦に並行して 旅順港閉塞作戦実行中に ロシア軍の

砲弾により 激烈なる戦死を遂げるのでした。

 

この英雄の 銅像が 日露戦争後に

東京万世橋駅前に建立されるのですが

 

それが 昭和22年に 突然撤去されてしまうのです。

 

今日は その話に続かなければなりませんでしたが

 

その前に

万世橋駅って何??について 書かせて頂きます。

 

万世橋と言う橋は聞いた事がある方多い方と思います。

この橋は 神田と秋葉原の中間くらいに有る橋で 交通量も多いですし

有名な 肉の万世橋の看板を目にした方も多いかと思います。

 

実は この万世橋の下に 不思議な部屋があるのが 橋から見えるのですが

これが 一体何なのか?? は 又後日という事で

 

今日は この万世橋にあった 万世橋駅についてになります。

 

こんな交通の要所にあった駅が 無くなるとは考えにくいのですが

この駅 一体いつ生まれて いつ消えたのか????

 

この万世橋駅 は 過去に

東京の中でもベスト5に入る乗降客があったのです。

因みに JR東日本管轄の ベスト5と言えば

私の記憶によりますと

1位:新宿駅

2位:池袋駅

3位:東京駅

4位:横浜駅

5位:渋谷駅

多少ずれていたとしても これらの駅が乗降客が多いのは頷けますね

そうそうたる首都圏の主要駅に匹敵するような駅が消失するなんて……

不思議だと思いますね

 

万世橋駅が開業したのは1912年(明治45年)4月1日です。

すでに新宿~立川間を運行していた私鉄の甲武鉄道が都心へと延伸し、

銀座と並ぶほどの繁華街へと成長していた神田須田町にできた起終点駅が

「万世橋駅」でした。

この駅の開業時には甲武鉄道はすでに国有化され今の中央線となっていたのですよ。

そして、

この駅舎は、後にできる東京駅と同様に辰野金吾が設計したのです。

今残っていれば さぞ立派な建物だったと思いますね。

 

その理由ですが

 

1919年に、中央線は1914年に開業していた東京駅まで延伸し、

万世橋駅は起終点駅を返上。単なる中間駅となってしまったのです。

 

さらに

1919年に神田駅が、1925年に秋葉原駅が開業することになり、

万世橋駅から徒歩圏内に次々と駅ができてしまったのです。

さらにさらに

追い打ちを掛けるように、

1923年9月1日の関東大震災で万世橋駅は焼失してしまうのです。

その為 利用客は神田駅や秋葉原駅を使う事になり、

万世橋駅の存在価値は激減してしまったのです。

 

その後 一応

1925年には2代目駅舎が完成するのですが、

それは震災で残存した基礎を利用した平屋建ての簡素な駅舎だったのです。

 

1936年には鉄道博物館が駅に併設され駅舎の大部分を鉄道博物館に譲り、

駅自体は大幅に縮小されました。

そして第二次大戦中の1943年乗降客減少に伴い、駅は休止となってしまいました。

 

 

戦後、

鉄道博物館は交通博物館と名称を変え、2006年まで開館していたので、

ご存じの方も多いのではないでしょうか?

私は この交通博物館に行くのが楽しみでした。

 

 

さて この万世橋駅の今は

一体どうなっているのでしょうか???

 

ご存知の方もいつかもしれませんが

 

こんな風にかわるのですね

 

どんなふうに???

 

それは

明日に続く、、、。

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