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2026.2.12
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日は 建国記念の日でした。
今日はこの話になります、、
建国記念の日は、毎年二月十一日に祝われる日本の国民の祝日であり、
「日本という国が成り立ったことを思い、国を愛する心を養う日」
と法律で定義されていますが、
その成立までの経緯を辿ると、
近代日本の歴史観や戦後社会の価値観の変化が
色濃く映し出されていることが分かります。
もともとこの日は「建国記念の日」という名称ではなく、
「紀元節」と呼ばれていました。
紀元節は明治六年、明治政府によって定められた祝日で、
日本の初代天皇とされる神武天皇が即位したと伝えられる日、
すなわち日本の紀元が始まった日を祝うものとされました。
日本書紀によれば、
神武天皇は紀元前六六〇年二月十一日に橿原宮で即位したとされ、
この日付がそのまま近代国家日本の「始まりの日」として採用されたのです。
明治政府にとって紀元節は、単なる歴史的記念日ではありませんでした。
欧米列強に肩を並べる近代国家を急いで築く中で、
日本には万世一系の天皇を中心とした長い歴史と精神的統一があることを、
国内外に示す象徴的な意味を持っていました。
国民に共通の起点を与え、天皇を中心とする国家観を育てるために、
紀元節は学校教育や祝賀行事を通じて広く浸透していきます。
やがて紀元節は、天長節や明治節などと並ぶ重要な国家的祝日となり、
神社での奉祝行事や学校での式典が全国で行われるようになりました。
しかし、
この紀元節は次第に国家神道と結びつき、
天皇を絶対的存在とする思想や、
国家への忠誠心を強く求める教育と一体化していきます。
特に昭和期に入ると、
紀元節は「日本は神武天皇以来、特別な使命を持つ国である」
という歴史観を強調する象徴的な日として位置づけられ、
戦時体制の中で精神動員の色合いを強めていきました。
その結果、敗戦後の日本社会では、
紀元節は軍国主義や国家主義と結びついた象徴として厳しい見直しの対象となります。
昭和二十年の敗戦後、連合国軍占領下に置かれた日本では、
国家神道の解体が進められ、天皇を神格化する制度や行事は廃止されました。
その流れの中で、紀元節も一九四八年に祝日として廃止され、
二月十一日は一時的に「何の祝日でもない日」となります。
ここで重要なのは、
日本の「建国そのもの」を否定したわけではなく、
特定の歴史解釈や宗教的・国家主義的意味付けを伴う祝日の形が
問題視されたという点です。
戦後日本は、新しい憲法のもとで主権在民や思想・信教の自由を掲げ、
国家が特定の歴史観や信仰を国民に強制することを避ける方向へと大きく舵を切りました。
そうした中で、
「それでも日本の成り立ちを静かに振り返る日があってもよいのではないか」
という声が次第に高まっていきます。
高度経済成長期に入った一九六〇年代、国民生活が安定するにつれ、
伝統や歴史をどのように受け止めるかが改めて議論されるようになりました。
そこで検討されたのが、紀元節とは異なる形での新しい祝日の創設です。
ポイントとなったのは、神話を歴史的事実として断定することを避け、
特定の思想や信仰に偏らない表現にすることでした。
その結果、一九六六年に「建国記念の日」が祝日法により制定され、
一九六七年から施行されることになります。
名称に「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と「の」を入れたのも、
建国の正確な日付を歴史的事実として断定するのではなく、
「建国されたという事実そのものを記念する」という、
やや抽象度の高い表現にするための工夫でした。
日付については、
国民の間に既に広く定着していた二月十一日が採用されましたが、
その意味づけは大きく変えられました。
かつての紀元節が
「神武天皇即位の日」を祝う色合いを強く持っていたのに対し、
建国記念の日は、日本という国がどのような歴史を歩んできたのか、
そして現在の日本をどのように次世代へつないでいくのかを、
それぞれが自由に考える日とされています。
そのため、
政府主催の大規模な式典や思想的な統一行動が義務づけられることはなく、
祝日の過ごし方も国民一人ひとりに委ねられています。
今でも建国記念の日をめぐっては、
紀元節の復活ではないか、あるいは神話をどう扱うべきか
といった議論が起こることがありますが、
その背景には、
日本の歴史をどう理解し、どの部分を共有の記憶として大切にするのかという、
成熟した社会ならではの問いがあります。
建国記念の日は、過去を一つの答えに固定するための日ではなく、
長い時間をかけて形づくられてきた日本という社会を、
改めて見つめ直すための「問いを開く日」と言えるでしょう。
紀元節から建国記念の日への変化は、
日本が経験した近代化、戦争、敗戦、
そして民主国家としての再出発という大きな歴史の流れそのものを映しています。
その意味で二月十一日は、単に休みを楽しむ日ではなく、
過去と現在、そして未来を静かにつなぐ節目の日として、
今も私たちに問いかけ続けているのです。