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社長&顧問ブログ

2024.10.4

弁慶橋

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは 弁慶の話から

石川には 弁慶うどんが多いという話でした。

 

石川県は 弁慶にとりましてゆかりの地だと言う事が分かります。

 

逆に牛若丸は 奥州に その名を付けた店が多くあるようです。

 

しかし 昨日も書きましたが 居酒屋聖徳太子 と言う店まであるのには

驚きました。

 

それで 居酒屋聖徳太子があるなら 次の一万円の顔となった 福沢諭吉の名を

とった店があるのか?? と思って 調べて見たところ

なんと 居酒屋諭吉屋 と言う店が世の中にはあるのです

 

どちらの店もきっと大繁盛しているのではと思いますね、、、。

 

他には これは絶対ないかなと思ってみたのが 清少納言なんですが

これも見事にヒットして ホテル清少納言というのがありました。

 

探せば もっと出て来るかもしれませんが キリがないので ここまでで、、

 

弁慶の話に戻ります。

 

弁慶と言えば 五条大橋が有名ですが

 

その弁慶の名がついた橋が 東京千代田紀尾井町にあるのです

 

その名も 弁慶橋です。

きっとこの橋も 武蔵坊弁慶に関係する橋だとばかり思っていました。

江戸の紀尾井町に何故 弁慶がと思っていました。

 

そもそも 紀尾井町の地名はどこから来ているかといいますと、、

紀尾井町の名前は、

紀伊徳川家・尾張徳川家・彦根井伊家の三家の頭文字をとって名付けられたものなのです江戸時代初期から大名屋敷が置かれていたエリアだったと言うわけですね。

 

弁慶が活躍した時代と 江戸時代は かなり差がありますので

何故 この屋敷辺りの橋の名が 弁慶なのかとは 昔から気にはなっていました。

 

この弁慶橋は、東京の紀尾井町にある橋で、1889年に建造されていました。

この橋は、

神田の鍛冶町から岩本町付近を流れていた愛染川にあった同名の橋の廃材を用いて作られたのでした。

何故この名称かと言いますと、橋を建造した弁慶小左衛門の名に由来しているのです。

かつては和風の美しい橋で、明治・大正期の東京の名所だったそうです。

 

今でもこの辺りは散歩するには適していると思います。

 

この橋を建造したした人の名字が 弁慶だったと言う事ですね

しかし 弁慶と言う名字があったのには驚きました、、。

 

調べて見ますと弁慶と言う名字は 現在

【全国順位】 19,430位 で【全国人数】 およそ240人 だそうです。

 

どうも京都が発祥らしいのですが

 

わたくしは いまだかつて この 弁慶さんと言う名字の方には出会った事はありません。

 

京都に行けば出会う確率は上がるのではと思っています。

 

と言う事で

 

話しは 逸れましたが

 

そもそもの歴史上の弁慶は???

 

の 話は

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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