EXECUTIVE BLOG
2023.6.16
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 青森ネタで
八甲田山の話になりました。
その前の イエスキリストが青森に逃げてきたと言う話の続きは
またその後と言う事になります
他にも 青森は縄文文化が多く残っているのですが
これが何故だろうかと言う話にも興味が湧きますし 遮光版を付けてると言われる
土器を最初見た時 実は これは宇宙人ではないかと思ったりしました。
この真相は?? も次回以降と言う事にします。
あと 青森には 別な朝廷が存在していたという 古文書が見つかったと言う
騒ぎもあったりしました。 この経緯の話も面白いのですが
これまた 後日と言う事で
今日は 昨日からの続きで
雪の八甲田山で遭難した 帝国陸軍の話になります。
この時の出来事が 八甲田山死の彷徨と言う小説になり 後に映画化もされてます
この小説 映画が思い白いのは 単に雪山で戦う兵士の話ではなく
トップのありかたをこの遭難事件を通して 学べるからなのです。
八甲田山の雪中行軍には 先にも書いた 弘前連隊と青森連隊からの 参加となりますが
弘前連隊は成功し 青森連隊は 遭難した上に殆どの兵士が犠牲になるのです
この差を見てみますと トップのあり方が見えてくるのです
先ず、弘前第三十一聯隊の徳島大尉は、
上官から指示のあった場当たり的な計画ではとうてい雪中行軍はなしえないと考えました。
このため、入念に計画を見直し、これなら可能と考えた計画書を聯隊長である、
自分の上官である児島大佐のもとに持っていきました。
計画の大幅な見直しであり、児島大佐の承認を得ることが出来るかを
徳島大尉は懸念していたのです。
しかし 徳島大尉は 上官である児島大佐に対して
「この雪中行軍が死の行軍になるか、輝かしい凱旋になるかは、この行軍に加わる人によって決ります。——–雪地獄とはそういうものです」
と 命令違反にもなりかねない意見を具申したのです。
これを聞いた 児島大佐は 部下を命令違反であると叱責せず きちんと大尉の意見に
耳を傾けたのでした。
そして 大尉は 児島大佐に対して
「すべてをおまかせ願いたいのです、雪中行軍の指揮官はこの徳島にすべてをまかせえて頂かないかぎり、雪地獄には勝てません」と
願い出たのでした。
通常であれば 軍隊は命令で動くものですから 当初本部司令部が決めた通りの
やり方を守らせるのですが
児島大佐は 徳島大尉のやりやすいように作戦を練ってよろしいと許可を出したのです
そして
児島聯隊長の確認を取った徳島大尉は、出発までに入念な準備をし、
隊員にもきめ細かい準備を指示しました。
更に
雪中行軍に出発してからも、隊長としてすべての権限を与えられ、
幾度かの遭難の危機を盛り越え、行軍を成功裏に導いたのでした。
で
一方の青森連隊では
どのような動きがあったのか???
は
明日に続く、、、、。