EXECUTIVE BLOG
2024.9.10
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日まで直弼ネタが続いていまして
大老が暗殺されると言う失態を犯した幕府が これより衰弱していき
やがて 大政奉還から 明治維新 そして 文明開化と時代は進化していくのです。
今日から 文明開化の話に進む予定ですが
その前に
直弼暗殺から 150年以上経った時に
面白い事が 彦根で起きるのです。
面白いと言うと 当事者には大変失礼な事ですが、大変興味がある話なのです。
それは 確か2013年に行われた彦根市長選挙の時の話になります。
彦根市長選挙と 桜田門外の変が何の関係があるのか? と思ってしまいますね
昨日も書きましたが 桜田門外の変は 水戸浪士が中心となって起こした事件でした。
天皇の許可も得ずして 米国との契約をしたのはけしからん と言う事でした。
水戸藩や長州藩は 当時の天皇陛下に対して 海外との交流をするとロクな事には
ならないと吹き込んで 尊王攘夷運動を起こしていました。
それでも 日米の条約に 天皇の許可を得ないで契約したことが原因の一つでした。
それで 大老を暗殺しようと言う事になったのですが
先日書いたように
この時に 水戸浪士に交じって 薩摩藩からも浪士が参加していましたね、
その浪士が 有村次左衛門です。
そして先日書いたように 彼が 直弼を籠から引きづりだして 首を斬り落としたのです。
さあ それから 150年ほど経った2013年に、
この 有村次左衛門の子孫が なんと 滋賀県彦根市長選に立候補する事になったのです。
これに対し、通算4期目を目指す現職が「井伊家のまちを守る」と批判を強めたのです。市長選は、前回惜敗した無所属新顔も絡んで激戦模様だったのです。
一般の市民の間には「争点にふさわしくない」と冷ややかな声も上がる中、
当時現職の獅山向洋氏の確認団体が作成したビラ4万枚が市内で宅配され、
そのビラには立候補表明した新顔の有村国知の先祖が桜田門外の変に参加したとし、
「同氏の立候補は、とうてい容認できない」と批判したのです。
我が殿の首を斬り落とした有村次左衛門の子孫が 彦根市長になる事は
絶対に許されないと批判し選挙戦でも その内容で戦ったと言うのです。
この有村し 先祖が薩摩藩なのに 何故その時に滋賀県に住んでいたのかまで
書いていくと 更に長引いてしまうので ここまでにしますが
150年以上の前の怨念を ここで出した事に
常識ある市民たちは 少しは賛同もあったかもしれませんが
結局のところ この現職は落選しているようです、
事の顛末までは調べていませんが
今日は 直弼余談でした
いずれにしても 桜田門外の変以降 幕府は衰弱して
海外との交易を図り 文明開化と花が開いて新しい時代の幕開けとなるのです
その話は
やっと
明日へ続くのか???