
EXECUTIVE BLOG
2026.7.23
妹尾八郎です。
昨日は、「御神木」の話しでした。
神社に立つ大きな木は、ただ樹齢が長いだけではありません。
何百年もの間、人々の祈りを見守り、
地域の歴史を静かに見つめ続けてきた、かけがえのない存在です。
今日は、その御神木にまつわる、
一首の美しい和歌をご紹介したいと思います。
鹿児島県薩摩川内市にある新田神社。
この神社は、古くから南九州を代表する由緒ある神社として知られています。
境内には、樹齢数百年ともいわれる見事な大楠がそびえ立っています。
長い歳月の中で、台風にも耐え、豪雨にも耐え、
多くの人々の人生を静かに見守り続けてきた木です。
その大楠を訪れた歌人・与謝野鉄幹は、その姿を見て次のような歌を詠みました。
可愛(え)の山の 樟(くす)の大樹(たいじゅ)の 幹半ば
うつろとなれど 広き蔭かな
この歌を現代の言葉にすると、
「可愛山に立つ大きな楠は、幹の半ばが空洞になっている。
それでもなお、大きく枝を広げ、多くの人に豊かな木陰を与え続けている。」
という意味になります。
私は、この歌ほど人生を美しく表現した言葉は少ないように思います。
幹が空洞になるということは、木が長い年月を生き抜いてきた証です。
強い風にも耐え、 大雨にも耐え、 雷にも耐え、
時には病気にも耐えてきたのでしょう。
傷一つない木ではありません。
それでもなお、
空へ向かって枝を伸ばし、人々を暑さから守り、小鳥たちに住みかを与え、
毎年新しい芽を吹かせています。
鉄幹が感動したのは、大木の大きさではありませんでした。
傷ついてもなお、人のために生きている姿」だったのです。
これは、私たち人間にも重なります。
人生を歩んでいると、誰もが傷つきます。
思い通りにならなかったこと。
大切な人との別れ。 失敗。 病気。 悔しかった出来事。
何一つ苦労のない人生はありません。
しかし、その経験があるからこそ、人の痛みが分かるようになります。
苦しんだからこそ、優しくなれます。
涙を流したからこそ、人を励ませるようになります。
本当の強さとは、傷を負わないことではありません。
傷を負ってもなお、人を思いやる心を失わないこと。
それが、本当の強さではないでしょうか。
御神木は、何も語りません。 ただ、静かに立っています。
しかし、その姿だけで、多くのことを教えてくれます。
「焦らなくてもいい。」
「人と比べなくてもいい。」
「自分にできることで、誰かの役に立てばいい。」
そんな優しい声が聞こえてくるようです。
新田神社の大楠は、
今日も変わることなく、多くの参拝者を木陰で迎えています。
その木陰に立つと、不思議と心が穏やかになります。
それは、大楠が長い年月をかけて、
人々の願いや喜び、悲しみを静かに受け止めてきたからなのかもしれません。
私たちは、つい
「もっと成功したい」「もっと大きくなりたい」
と考えがちです。
もちろん、それも大切な目標です。
しかし、それ以上に大切なことがあります。
それは、自分がどれだけ大きくなったかではなく、
どれだけ多くの人に木陰を与えられたか。
どれだけ誰かを安心させ、
どれだけ誰かを励まし、
どれだけ誰かを笑顔にできたか。
その積み重ねこそが、本当に豊かな人生なのだと思います。
与謝野鉄幹の歌は、百年以上の時を越えて、今も私たちに語りかけています。
可愛(え)の山の 樟の大樹の 幹半ば うつろとなれど 広き蔭かな
御神木に出会われたら、その幹だけではなく、
その木がつくる「木陰」にも目を向けてみてください。
そこには、
人を支え、人を包み込み、静かに寄り添う生き方があります。
そして私たちもまた、
人生という長い旅路の中で、たとえ傷つくことがあっても、
誰かに安らぎを与えられる一本の大樹のような存在になれたら、
これほど幸せなことはないのではないでしょうか、、、。
またまた話が逸れましたが
明日は 神社にいるアレの話に続く、、、。