EXECUTIVE BLOG
2020.12.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
昨日からの続きです
昨日までは 忠臣蔵の話でした。
我々が知っている 物語の忠臣蔵とは違う一面を考えてみた話でした。
今も昔も きっと変わらないと思う事は
生身の人間であれば死にたくはない幸せな暮らしがしたいと思う事では
ないかなと思うのです。
昔の人だから 切り合っても平気だし 切腹なんてなんて事はないのだと
思う事が間違っていると思うのです
自分の腹を出して 短刀を突き付けて 思い切り突き刺し横一文字に切るなんてことは
昔の人だから平気だったと思えないのです。
赤穂浪士たちも皆そんな思いで なんでこんな事になってしまったのかと
思いながら殺されていったのでしょうに
家族も 馬鹿な仇討なんかに誘われて行くからこんな目に遭ったのだと悔やんだと思います。
しかし 歴史と言う者は 後の時代の者がいくらでも解釈をつける事が出来ますから
面白おかしく 英雄伝にしてしまい 庶民の望む物語に変えて行ったのが
真相ではと思っています
特に戦争においては 勝者が歴史を塗り替えることは多々あってます
ヒトラーが極悪人の様に扱われていますが それより ソ連のスターリンや
中国の毛沢東は その数十倍と言う人を処刑してると言われていますが
勝てば官軍で 勝った方は英雄としての名を残す事になるのです
それが 太平洋戦争でも同様な事があったと思います。
承知の通り 日本は無条件降伏を受け入れた敗戦国です。
開戦の詔書を読めばわかりますが 東亜の平和の為に戦おうとしたのですが
いつのまにか 戦後は 日本は侵略国家だったのレッテルを貼られてしまい
今なお 保証を求められているのです。
そして 敗戦後に行われたのが極東軍事裁判でした。
勝者が敗者を裁くのがこの裁判だったのですが
「極東国際軍事裁判」が、いかにも、正当で正義の裁判を装っていますが、
現実は、まったくの茶番だったとも言われています。
それは、「裁判」というのは名ばかりで、まったく一方的で、不当な「復讐劇」だったと考えられるからです。
それは、起訴状が手交された日からも分かるのです。
何と起訴状が出た日は昭和二十一年四月二十九日。
つまり昭和天皇の天長節(天皇誕生日)だったのです。
国民が皆お祝いをする日に敢えて起訴状を発行したのです。
そして判決文の朗読が始まった日がこれも祝日の『紀元節』で、
つまり、現在の建国記念日にあたります。
更には「A級戦犯」として、死刑判決を下された七名が絞首刑に処せられたのが、
当時の皇太子(つまり平成天皇陛下)の誕生日にあたる、
昭和二十三年十二月二十三日だったです。
これだけ日本にとってお目出度い日に合わせて手続きを行い、
最後には忌まわしい死刑をわざと平成天皇誕生日に執行したのですから、怨念すら、感じてしまうほどのおぞましい復讐「裁判」劇場だと思ってしまうのです。
きっと連合国は 戦後から数十年間日本人が祝日を迎えるたびに 自分たちの
罪に向かわせて 敗戦国民であることを摺り込もうとしたとしか考えられません。
日本こそが戦争犯罪国家であり、アメリカは正義の味方だと、世界に宣伝したかったのだ。まさにプロパガンダ裁判んだったと思うのです。
昨日までの忠臣蔵も 見方を変えると色々な事が見えてきますね
しかし そんな中 そもそもこの裁判自体が茶番の復讐裁判であると
勇気をもって発言した裁判官がいるのです
その方とは??
その話は
明日に続く、、。