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社長&顧問ブログ

2024.3.23

徳川家弘

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 何にでも興味を持ち頭を柔らかくする事と

出来ない理由を探すのではなく

どうすれば出来るようになるのか?? を考える必要があると

言う話でした。

 

常識に囚われてしまいますと 新しい発想が出来ないと思います。

 

その為の訓練として 街中を散歩している時にも 色々な建物を見ながら

何故このような形をしているのか?? と考えるだけで楽しいです。

 

それで 博多櫛田神社の話に戻ると

何故 櫛田神社は 総鎮守なのか??? に興味を持って 一体どこのだれが

そう決めたのか??? と思ったのですが

これに関しては 自然にここが総鎮守だと言う流れになったようです。

 

と言う事は 先に決められてしまうと 次は名乗れないと言う事になるのですね、、。

では総鎮守とただの鎮守の違いですが、

どちらも神社を指す言葉で、その意味合いには違いがあるようです。

 

総鎮守は、国または土地の全体を守護する神社を指します。

また、その神も総鎮守と呼ばれます。総鎮守は地域の安寧や繁栄をもたらす存在と信じられていて神社などで祀られ、地域の人々によって崇拝されることが一般的のようです。

 

鎮守は、特定の地域や造営物を守護する神社やその神様を指すそうです。

鎮守の起源は古代に遡り、国や地域を守護する神様として、天照大御神や大国主命などの神様が信仰されているとの事です。

 

因みに 博多の総鎮守は櫛田神社ですが、 東京は 神田明神が総鎮守になるようです。

 

神田明神のはじまりは

社伝によると、神田明神は730年に大己貴命の子孫・真神田臣により現在の東京都千代田区に創建されて

戦国時代の間は、有名な武士の太田道灌や北条氏綱、さらには徳川家康も神田明神へ参拝者として祈願していました。

 

特に徳川家康は深く信仰しており、1600年の関ヶ原の戦いの際には、

この神田明神でご祈祷を行なったのです。

 

そしてご存知の通り徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利しますが、

偶然にも神田祭と同日に勝利したと言うのですから驚きです。

御利益があったと言う事で

それ以降、神田明神は徳川家にとって縁起の良い神社となり、

その後も信仰され続けたと言う事です。

 

しかしながら幕末に大政奉還してしまいますので

その御利益は?? と言う方も居るかもしれませんが、

 

徳川家は 現在でも滅びる事無く続いていますので やはり 縁起の良い

神社なのかもしれませんね、、。

因みに

江戸幕府初代将軍・徳川家康から続く徳川宗家の19代当主を昨年、

徳川家広さんが継ぐことになり、

お披露目の儀式に当たる「 継宗けいそう の儀」が東京都港区の増上寺で行われたと

言うのですから 凄い事だと思います。

 

この方一時は政治家を目指していたのですが

なんと その応援に 幕末徳川将軍家を支えていた あの人の子孫が駆け付けたと言うのです。

 

あの人とは??

の話は

 

明日へ続く、、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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