EXECUTIVE BLOG
2022.3.31
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 上野の西郷さんの銅像の話から
靖国神社にある大村益次郎の銅像の話になってしまいました。
又 話が逸れていますが
先ず上野公園の本来の名称の 上野恩賜公園についてからの話をしなければ
なりませんね、
我々は 普段 上野公園と言っていますが 上野公園に行きますと
そこには 上野恩賜公園と表記されているのです。
この恩賜と言う表現 なかなか見かけませんね
一体何なのか??? と言う話からになります。
「恩賜」。この正しい読み方なのですが 「おんし」 です。
意味は
天皇・君主から物を賜ること。また、その賜り物の事です。
「恩を賜る」と書きますが、意味もその通りでしたね。
「恩賜」とだけ聞くと耳なじみがあまりないように思えますが、
これはもともと宮内省が御料地として所有していた土地が公に恩賜されて、
整備された公園のことなんです。
という事は 広い上野公園は もともと天皇陛下の所有地という事になります。
では
上野公園の他にも恩賜公園はあるのか??と思ってしまいますが
他に
井の頭恩賜公園、
1913年に下賜され、1917年に恩賜公園として一般公開されました
江東区にある猿江恩賜公園、
もともとは江戸幕府の貯木場であった場所が政府のものとなり、1924年昭和天皇の成婚を記念し下賜され、1932年公園として開園した場所です。
有栖川宮記念公園
1934年高松宮より公園地として下賜され、同年開園されました。公園の南側の高台に公園のシンボルとなる「有栖川宮熾仁騎馬像」があります。
恩賜箱根公園(神奈川県箱根町)
1946年函根離宮跡地が下賜され、同年一般公開されました。
離宮後だけあり美しく手入れされた植栽が見事です。
浜離宮恩賜庭園
1945年GHQの要請により下賜され、翌年、都市庭園として開園されました。
潮入の池と二つの鴨場がある大名庭園です。
旧芝離宮恩賜庭園
1924年昭和天皇のご成婚を記念し下賜され、同年開園されました。
江戸初期の回遊式泉水庭園で、池を中心として構成された勇壮な石組が見ものです。
天皇家の土地は凄く多かったようの思いますが
もともと天皇は京都にお住まいで 江戸は徳川が治めていましたね、
京都の方は いまだに 天皇陛下は又京都に戻って来られると言う方が多いです。
明治維新以降 天皇陛下は東京へお越しになったわけで
多くの土地をその時 天皇家のものとしたようです。
戦前の天皇家は日本一の地主とも言われ、
皇居、赤坂御用地、鴨場、陵墓、御料牧場などを合計した保有土地面積は
長野県に匹敵するとも言われていたのです。
現在、皇室関連の土地は、天皇皇后両陛下がお住まいの皇居、
東宮御所や秋篠宮邸がある赤坂御用地、
京都御所や3つの御用邸(葉山・須崎・那須)などがありますが、
すべて今は国有財産となっているのです。
それは
終戦後、憲法88条によりすべての不動産は国に移管され、
皇室に供される「皇室財産」となったのです。
天皇をはじめとする皇族方のお住まいは、
国から借りている“借家”ということになってしまっているのです。
そのほか皇居や御用邸に関連する皇室財産に、「船舶」と「地上権」があるのです。
「船舶」は皇居の内堀で作業に使用する船、
「地上権」は、例えば一般車両が通行できるようになっている那須御用邸の一部の道路なんです。
見た目は地方公共団体の道路のようですね、
しかし。実は
土地は宮内庁所管となっているのです。 しかしこれにはさすがに賃料はとってないようです。
恩賜公園から 天皇の財産に関する話になってしまいましたが
まだまだ 知らない事ばかりです、
明日は
上野公園にある謎の銅像の話にもどれるのか????
それは
明日に続く、、、、、、。