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社長&顧問ブログ

2025.1.15

恵比寿像

高光産業株式会社 妹尾八郎です。

昨日からの続きです。

 

昨日までは 福岡の十日恵比寿神社のご本尊の 恵比寿様の話しでした。

この恵比寿様の像は 福岡藩士の手によって 香椎浜と言う所で拾われたのですが、

 

各地に このように海から拾われた仏像を祀ったと言われるお寺がありますね

 

実は 私の本籍は 福岡県の芦屋町と言う所で

芦屋は、響灘に面した豊かな漁場を持ち、その自然資源を活かして栄えた町です。

そして

芦屋は古くから漁業が盛んな地域でした。響灘は魚介類の宝庫であり、

豊かな漁場を背景に、人々の生活が営まれており

北九州と本州、さらには東アジアを結ぶ海上ルートの中継地としても重要でした。

ここでは船舶の寄港地として、物資の集積や人の交流が盛んに行われていた場所なのですが

 

明治時代に 私の曾祖父が やはり芦屋の海で 延命地蔵を拾い上げ

それを 隣町である 若松の東光寺に寄贈しているのです。

 

かつて その話を耳にして その東光寺に行き 普段は 見せる事が無いと言う

延命地蔵を これを寄進した子孫であることを告げて 拝ませて頂いた事があります。

 

ご先祖様に感謝なのですが

 

それよりも このように 何故 海から 次々に 仏像が出て来るのがが不思議でした、、

 

まさか 仏の世界が 海底にあって そこで 生産されているのかと思ってしまうほどです、、、

 

このように、神社や寺院の由来を調べていると、

しばしば「神像や仏像が海から流れ着いた」という伝承に出会いますね、

このような話は全国各地で語り継がれていますが、

なぜ多くの神像や仏像が「海から来た」とされているのでしょうか?

と調べて見ますと

その背景には、日本の歴史や信仰、そして文化的な理由が隠されていたのです。

 

日本では古代から中世にかけて、海上交通が生活や文化の重要な一部を占めていました。

仏教や工芸品も、中国や朝鮮半島から渡ってきた可能性があります。

 

当時は 大きな船などありませんから

今の様に安全に航海出来たなかったはずです

そこで 大シケにあって 転覆した船も 多数あったと考えられますね

 

それらの積み荷から 神像や仏像が出てきたとしてもおかしくはありません

 

それで 海で拾ったとか 浜で拾う人もいたのだと思います。

 

しかし

ここで 又新たな疑問と興味が湧いてきますね、、、

 

簡単に言えばこれらは拾いものですね、、

もしかしたら 海に捨てられていたのかもしれませんし

 

それが 何故????

 

の話は

 

明日へ続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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