EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2021.3.25

愛宕山事件とは

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです

 

昨日までは 桜田門外の変の浪士が襲撃まえに集合した場所が

愛宕山で その愛宕山には 出世階段があるのだと言う話でした

 

そして 今日は 愛宕山は 昭和に入っても 色々な出来事が

ありました

 

それは 太平洋戦争終結時における話になります

 

知っている通り、昭和二十年八月六日には広島に原爆が落され、

九日にはまた長崎にも原爆が落されました。

それと 同時に、八月八日にはソ連が日ソ中立条約を一方的に破って、

満州に侵入して来たのです。

沖縄は既に落ちて、本土決戦か降伏かの瀬戸際での原爆投下とソ連参戦は、

日本政府にギリギリの選択を迫ったのです。

 

結局八月十四日の御前会議(天皇陛下の前での最高 会議)で、

天皇陛下が自らポツダム宣言の受諾を決断され、

八月十五日にあの有名な御自身のお声による放 送があって、

終戦になったのです。

 

ポツダム宣言受諾で一番心配されたことは、戦勝国 が国体の変更を迫るのではないかということでした。

この国体とは国民体育大会のことではないのです。

英語でConstitution、国柄とか憲法とか言う意味なのです。

日本の場合は、明治、大正、昭和と、代々天皇が日本 を統治して来られ、これから先もずっとそれが続く・・・・ これが日本の国体と言う意味に捉えられています。

 

しかし

ポツダム宣言ではそれが明記されていなかったので、 万一国体の変更を迫られるようなら、たとい玉砕して でも最後まで戦うべきだという意見の者が多かったのです。

しかし昭和天皇は、

「私の身がどうなろうとも、この戦争はは止めなければいけない」と仰っしゃって、

ポ ツダム宣言を受諾されたのです。

 

それでも天皇陛下をお守りする立場の近衛師団の将 兵の中には、玉音放送のレコードを奪って何とか放送 が中止になるよう策謀したり、師団長を殺してまで飽 迄戦いを継続しようという一団もあったりして、全員が賛成で終戦になったわけではなかったのですが、

昭和天皇のご裁断によって、日本軍はすべての戦闘行為を止めたのです。

 

玉音放送が行なわれるや、皇居の前には続々と人が 集まり、脆いて号泣する者、力不足をお詫びする者等々 が後を絶たなかったのですが、

 

そこで 愛宕山で事件が勃発するのです。

その事件とは

降伏に反対する右翼団体があり 彼らは「尊攘同志会」と言う会を組織していて、

首領の飯島与志雄ら12名が愛宕山に武装して篭城し、抗戦派軍人の決起を期待していました。

しかしご聖断が下った警視庁は愛宕山を包囲し、投降を呼びかけました。

それでも警視庁の説得を拒否したため、ついに警官隊が発砲し、突入したのです。

飯島与志雄らは手榴弾で自決を図りました。このときの死者は10名、捕らえたのは2名でした。

この事件を 愛宕山事件と言われるようになるのですが、 何故か 決起をする前には

愛宕山に登るという気持ちになるかと思ってしまいます。

 

この愛宕山の近くには お寺も多くあるのですが

 

その一つの寺に 戦時中の勇ましくも悲しい兵士の墓があるのです

 

その兵士たちとは???

 

 

それは

 

明日に続く、、、、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

 

高光産業株式会社 妹尾八郎監修の書籍

 

高光産業株式会社 妹尾八郎監修の書籍(Amzon)

前の記事へ