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社長&顧問ブログ

2021.1.19

戦艦大和から武蔵まで

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日は 長崎から 話が逸れて

ラッキーセブンに纏わる話でした。

 

何にでも興味を持つと 色々なことに由来が有ったりするものだと

改めて気づくことが出来ます

 

さあ

 

それで 又 長崎ネタに戻らなければなりませんが

軍艦島から 戦艦土佐の話などになってましたが

 

土佐は戦艦でしたが 同じく 戦艦で有名なのは

戦艦大和 と 戦艦武蔵だと思います

戦艦大和に関しては 現代に 宇宙戦艦ヤマトの漫画もありましたから

その名前を知っている方は 多いかと思います。

 

しかし 戦艦武蔵を知ってる方は少ない気がします

この戦艦武蔵は 長崎市にある三菱造船で建造されているのです

 

今回は この話ですが、

戦艦大和に比べて 記憶にないのは

戦艦大和は 終戦間際の沖縄戦に向けて 非業の最後を遂げた事が

多くの映画とかになっているからだと思います

 

ご存知の通り 日本は敗戦が濃くなってきて 米軍も沖縄に上陸するに至りました

 

沖縄を落とすという事になると いよいよ 最後は本土決戦という事で

日本国内が戦地になると言う 歴史上初めての経験を目の前にして絶対

落とすことが出来ない 拠点でした

 

米軍は沖縄攻略後は オリンピック作戦と名付けた作戦で

100万人の米軍を日本本土に上陸させる作戦を立てていたのです

 

こうなると 日本は焦土と化してしまうので

なんとか 沖縄を守るべく

戦艦大和を特攻兵器として使用する決断をしたのです

何故特攻兵器かというと燃料は片道分だけだったからです

 

生き残るつもりであれば 往復の燃料を積むのでしょうが

 

大和は 船のまま沖縄に乗り上げ そこから 迫りくる米軍に対して

大砲を撃つ作戦だったのです

 

しかし

日本を離れた時から 米軍のレーダー網にひっかかり

 

沖縄に到着する遥か手前の 鹿児島沖で 敵の猛攻撃を浴びて

轟沈することになったのです

 

この話に比べて 戦艦武蔵は どのような最後を迎えたのか

はあまり知られていないのです

 

明日は 大和の戦いから 武蔵の最後までの話

 

オリンピック計画とはなんだったのか?

そもそもオリンピックとは 平和の祭典の話ではないか、

なのですが この計画とは??

 

 

についての話に

進む予定です

 

続きは

明日、、。

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