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社長&顧問ブログ

2023.2.16

撃墜王坂井三郎

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは建国記念の日に関しての話から

この祈念の日は 戦前までは 紀元節と呼ばれており

日本国誕生の日として皆お祝いをしていました。

 

紀元2600年 つまり昭和15に年には 皇紀2600年という事で

盛大にお祝いの行事がありました。

 

そして この紀元2600年に作られた戦闘機が 世界的に有名なゼロ戦だったと言う話でした。

 

ゼロ戦がどのような大きさ形かを知りたい方は 靖国神社の横の記念館に行きますと

入り口に展示されていますので 是非ご覧下さい。

 

私が少年時代は 今の様にインターネットもありませんでしたので

普段は 普及しだしたテレビを見るか 少年漫画雑誌を良く見ていました。

 

当時の漫画は 戦記物が多かったような気がします。

 

ちばてつや作の 紫電改のタカ 等読んでいると 毎回ワクワクしていたことを思い出します。

 

漫画ですから 戦争時代の辛い事より 主人公が敵機を撃墜するシーンなど読むと

胸がスカッとしていたのです。

 

私は勿論 戦争体験者ではありませんが これらの漫画を読むたびに 大空に憧れていた気がします。

 

そんな時 大空のサムライ と言う伝記を読む機会がありました

それは 第二次世界大戦中に 活躍した 撃墜王 坂井三郎中尉の話だったのです。

 

彼は 日本海軍航空隊のエースで 次々に敵機を撃墜していた実在の人物です。

この方は 長生きをされて 西暦2000年まで生きていましたから

その話を聞いた事がある方も多いかもしれません

 

この坂井中尉の話の中に凄い話があります。

彼が残した言葉に中に

「絶望は愚か者の結論。絶対に諦めない」 と言う言葉あります。

 

彼は 一体どんな絶望を諦めずに乗り切ったのか???

 

昭和17年(1942)8月7日、アメリカ軍がソロモン諸島最大の島ガダルカナル島に上陸を開始、半年に及ぶガダルカナルの壮絶な戦いの始まりでした。

そして戦いの初日にあたる8月7日、1000km彼方のラバウル基地より攻撃に向かった撃墜王・坂井三郎が重傷を負いつつ、奇跡的な生還を果たしているのです。

 

戦いの詳細は省きますが

 

アメリカ軍の戦闘機と交戦します。

そのときに、坂井三郎さんの機体が旋回連装機銃の集中砲火を浴びて被弾・・・

頭部を負傷してしまいます。その時彼が頭に手をやるとヌルっと脳にまで指が入り込む感じがしたそうです。

更に左半身が麻痺に右目の負傷、そして、左目の視力も低下しました。

この時場所は上空です。 絶体絶命の大ピンチです。

 

ですが、坂井三郎は動かない身体とよく見えない視界の中で無意識に機体を水平飛行に回復させ、約4時間かけてラバウルまで戻ってきたのです。

このとき、正常な操縦ができなかったので、降下角と進入速度のみをコントロールして椰子の木と同じ高さになった時にエンジンを切るという方法で着陸したのです。

 

気力を振り絞り、微妙な操作で何とか指揮所近くに愛機を着陸させた坂井は、

なんと血まみれの姿でまず司令に報告し、それから昏倒して医務室に運ばれたのです。

凄まじい気力であり、だからこそ、この奇跡の帰還が出来たのです

 

この時の事を 後に坂井は

「絶望は愚か者の結論。絶対に諦めない。あの時だって切り抜けた。今日も何とかしてみせる」

と言う言葉を残しました。

 

少年時代でしたが 彼の言葉に勇気をもらった気がしました。

 

他にも 英雄列伝は多くあります

 

明日は その英雄たちの話か????

 

はたまた

あの話か?????

 

それは

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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