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社長&顧問ブログ

2025.7.30

教祖も居ないのに

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 日本の和の心と世界の宗教を合わせた考えが世に広がれば

真の平和が訪れるのではと言う話でした。

 

今日は 日本の神道には 開祖や教祖が居た訳でもないのに

何故 日本中に広がる事になったのか???

の話に進みます、、、。

 

日本における神道の広がりというのは、

キリスト教やイスラム教のような「教祖」や「聖典」、

あるいは「布教活動」を通じて全国に拡がったものではありませんでした。

 

にもかかわらず、日本全国津々浦々に神社があり、

人々はそれぞれの土地の神様を大切にし、

共通した祈りの作法や祭りの風習を持っています。

 

この不思議でありながらも自然な流れは、

まさに日本の風土と人々の心のあり方が深く関わっているのです。

 

まず、キリスト教やイスラム教のような一神教は、

創始者が明確に存在し、その教えが体系的にまとめられて、

信徒がそれを学び、実践するというスタイルを取ります。

 

イエス・キリストやムハンマドのように明確な人物が

神と人との間をつなぐ役割を果たし、

教典として聖書やコーランが存在します。

 

それに対して、日本の神道には

「開祖」や「開教」のような概念がありません。

 

神道の根本には、自然や祖先への畏敬があり、

人間の営みの中に神々の存在を感じ取るという、

きわめて素朴で身近な宗教観が存在していたのです。

 

山、川、海、田んぼ、森、大木――こうした自然そのものが神として見られ、

人々は日常生活の中で「神様」を感じ取っていました。

例えば大きな山に対して「この山には神様がいる」と思い、

清らかな湧水に対して「神の恵みだ」と感謝し、

稲の実りに対して「五穀豊穣を司る神様のおかげ」と拝んでいたのです。

 

こうした自然崇拝や祖先崇拝の感覚が、

日本列島の各地で自ずと生まれ、

それぞれの土地において神社の原型となるような場所――

神を祀る場がつくられるようになっていきました。

 

これは誰かに教えられたからではなく、

生活の中から自然に湧き上がってきた感謝と畏敬の念の現れでした。

 

やがて、そうした神を祀る場所が

「社(やしろ)」として整えられ、

村の守り神として祭祀が行われるようになります。

 

そして、その神様に対して決まった作法や祈り方が生まれ、

地域ごとに伝承されていきました。

 

たとえば、二礼二拍手一礼の作法、神棚へのお供え、

季節の節目に行われる祭りなどです。

これらは文字によって教えられるものではなく、

親から子へ、地域の人々の中で自然と受け継がれていくものでした。

 

では、なぜ全国に似たような形式の神社が広がったのかというと、

それには古代国家の成立と深い関係があります。

 

特に奈良時代から平安時代にかけて、朝廷が全国の神々を体系化し、

「延喜式神名帳」などで神社の一覧を整備し、

国家として神道を一つの柱として位置づけていったからです。

 

伊勢神宮を筆頭に、天照大御神を祖神とする皇室の祭祀が国の根幹とされ、

各地の有力な神々が「国津神」として記録され、

それぞれの神社が朝廷の保護を受けていくようになったのです。

 

こうして、地域の神々が国家の神々としても認められ、

全国的に共通した形式で祀られていくようになりました。

 

また、神話の世界においても、

古事記や日本書紀によって神々の系譜や物語が整理され、

「アマテラス」「スサノオ」「オオクニヌシ」

といった名前が全国に知られるようになり、

それに呼応する形でその神を祀る神社が各地に建てられていきました。

 

しかしながら、それでも神道は一神教ではありません。

むしろ、多神教であり、八百万の神々という言葉が示す通り、

あらゆるものに神が宿ると考えるのが神道の基本です。

 

台所の神、火の神、山の神、田の神、風の神、疫病の神、

戦の神、学問の神、縁結びの神――

それぞれが人々の生活の中で意味を持ち、

必要とされ、祀られてきたのです。

 

しかも、それらの神々は排他的ではありません。

どの神様もそれぞれに敬われ、

互いに対立することなく共存しています。

 

キリスト教やイスラム教のように

「この神以外は認めない」という考え方ではなく、

「どの神様もそれぞれ大切にしましょう」という寛容さが、

日本人の宗教観の根底にあるのです。

 

このような神道の柔軟さと多様性こそが、

長い年月をかけて日本全国に自然に溶け込み、

地域ごとの特色を持ちながらも、

共通した神社の文化として根付いていった大きな理由です。

 

そして、

神道には「信者」や「入信」のような概念も基本的には存在しません。

誰でも神社に行き、手を合わせ、お参りすることができます。

 

そこに特別な資格も教義の理解も必要なく、

ただ素直な気持ちで感謝や願いを込めて神様に祈ればよいのです。

 

この気軽さと開かれた姿勢が、

多くの日本人にとって神道を

「生活の中の一部」として根づかせてきたのだと思います。

 

たとえ無宗教だと自認する人でも、

お正月には神社に初詣に行き、お守りを持ち、

七五三には子どもを連れて神社に参拝する――

これはまさに神道が暮らしと一体となって生きている証拠です。

 

このように見てくると、日本の神社の成り立ちと広がりは、

教祖も弟子も教典もなくても、

人々の心と自然に対する素直な感謝と畏敬、

そして国家としての後押しと文化の中の自然な継承によって、

無理なく全国に広がっていったのだということがよく分かります。

 

神道は押しつけがましくなく、

誰かに信じろと迫るものでもありません。

 

ただそこにあり、必要なときにそっと寄り添ってくれる存在――

だからこそ、

長い年月をかけて多くの人々の心に根ざしてきたのでしょう。

それが日本独自の宗教観であり、

神社が日本の風景の一部として存在している理由なのだと思います。

 

明日は 何故朝廷が????

の話に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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