EXECUTIVE BLOG
2024.11.26
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 戦後GHQによって
日本の古来からある文化の多くが変更されてしまったという話でした。
古来からある日本の伝統の祭日を わざわざ祝日とする意味は一体何だったのでしょうか?
余程 第二次世界大戦で日本の怖さを身に染みて 徹底的に日本人の精神を変えてしまおうとしたのではと思います。
今では 完全に忘れられていると思いますが、
戦前の教育には、修身と道徳の授業があったのです。
修身という授業により、人生とは何か、日本の伝統を実感させて、国の為に生き方を考えさせる授業でした。
しっかりと日本文化を学ばせていたのです。
さらに、戦前は小学校の頃から、『教育勅語』を学び、
親を大切にして、兄弟は仲良く、友達はお互いに信じあうという教育をしていました。
すなわち助け合う教育をしていたと言う事です。
この教育勅語と言う言葉は耳した事があるかもしれませんが
それにさえ GHQは触れさせないようにしていたのです。
では ここで おさらいの意味で 教育勅語とはですが、、、。
教育勅語は、1890年すなわち明治23年の10月30日に国民道徳の基本と教育の根本理念を示すために発布された教育に関する勅語です。
全文は315字からなり、12の徳目を中心に構成されていました。
教育勅語の12の主な徳目はといいますと。
父母に孝行 兄弟仲良く 夫婦和合
友人との信頼 謙虚な態度 博愛精神
学問の修養 知識・能力の啓発 公共のために尽くす
法律の遵守 有事の際の国への奉仕 皇運を扶翼すること。
1つ目から11番目までに関しては、現代にも通じる徳目として違和感が無いと思います。
しかし
12番目の徳目は、教育勅語の中で「以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
これを現代語訳にしますと
「もって天地とともに永遠の皇運を助け奉るべし」という意味で示されています。
この徳目は、天皇制国家としての日本の特徴を表すものとして重要視されていたのです。
今でも必要な教育方針だと思うのですが
第二次世界大戦後、1948年6月19日に衆議院と参議院で
「教育勅語等排除に関する決議」が採択されてしまったのです。
この決議により、教育勅語は法的効力を失い、学校教育の場から排除されることになったのです。
何故排除されるようになったかと言いますと、
GHQは教育勅語を日本の軍国主義や超国家主義の源泉と見なしていて、
その廃止を日本国に命じで、
これにより、戦後の日本の教育は大きく転換することになったのです。
この政策の一環として 昨日も書いた 多くの本が焚書として 廃棄されてしまいました。
正しく日本を学ぶ機会が奪われ 日本の伝統文化が 徐々に失われてしまう事に
なっているようです。
この他にも
こんなことまで指示されていたのですが
その内容は
明日へ続く、、、。