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社長&顧問ブログ

2024.4.22

敬天愛人

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 西郷さんに関する話で

今日は いよいよ 西郷南洲遺訓の話になります。

 

西郷さんの遺訓をまとめたのは 庄内藩の人達でした

遺訓の中身の前に 何故 そのような行動に庄内藩の方々はでたのか??

についておさらいをすると、

 

  • 庄内藩は戊辰戦争のときに奥羽越列藩同盟で会津藩降伏後も最後まで唯一抵抗した藩だった

②庄内藩は薩摩藩邸を焼き討ちしている。

  • 庄内藩は最終的に官軍に降伏したもののそれまでの経緯から戦後の沙汰は厳しいに違いない

④厳罰を予想したにも関わらず新政府の処分は軽かった

  • その判断を下したのが西郷隆盛と判明
  • 庄内藩は恩義に感じると共に西郷の度量に感服し、藩主自ら鹿児島に赴いて直接指導を受けたため、庄内藩の中に西郷を師と仰ぐ敬意とあこがれが生まれ、その後、藩の若者を鹿児島に留学させるなどの人的交流が始まる

 

ということでした。とても面白いですね。

敵方ではあったものの庄内藩の人達は隆盛の人柄に感服し、

教えを請いたいと思ったのでしょう。

そして戊辰戦争後の藩の復興は隆盛にぜひ指導を仰ぎたいと考えて藩の若者を合計78名も鹿児島に派遣させているのです。

 

でその教えの中身は

本文は四十一条と追加二条から成り、西郷の精神を垣間見ることができます。

以下は一部の教訓の要約です:

 

公職に任ずる者を官職で賞するは善からぬことの第一

万民の上に位する者は己を慎み、品行を正しくし、節倹を勉め、

職事に勤労して人民の標準となるべし

 

忠孝仁愛教化の道は政事の大本であり、万世に亘り宇宙に弥かふ可からざる要道

 

この遺訓は、西郷隆盛の敬天愛人の教えを伝えており、

彼の人格と指導力を称賛する多くのリーダーにとって、尊敬すべきものとなっています。

 

この敬天愛人と言う言葉はよく耳にする言葉ですね

私は これは 西郷さんが作った言葉かとおもいましたら

 

これはキリスト教の教えに通じていて この言葉の生みの親も西郷さんでない事を

ご存知の方は 少ないかと思います

 

この言葉の中身と 造語した方はだれか????

 

 

明日に続く、、、。

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