EXECUTIVE BLOG
2024.9.11
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
今回は 長い間井伊直弼ネタで引っ張りましたが
いよいよ 次に行かなければなりませんね
私は 日本史をあまり勉強していませんでしたし
九州の人間ですので
何故か 薩長を応援したくなり 幕府は悪 みたいなイメージが
沁みついていました。
しかし 深く掘り下げてみると 色々見えて来て
井伊直弼も 本当に赤鬼と言われるほどの悪人だったのか??? と
考えさせられます。
天皇の許可なく条約を決めたと言う行為は 尊皇派からすれば 許されざる行為だったかもしれませんし 朝廷を敵に回す事がどうなるか?? 位は 井伊直弼も理解していたと思います。
それでも 早く条約締結しなければ 西欧列強から侵略に遭うのではとの思いから
例え自分が殺されてでも 締結を進めるしかないと決断したのだと思います。
桜田門に登城する前にも 襲われる可能性があるとの情報は 直弼の耳に届いていましたが それで怖気て行かないとかすると 井伊藩の名折れになるとも考えていたのでは思います。
見方を変えれば 日本を救った男気ある英雄だったのかもしれません
しかし 後の 薩長が天皇歯向かった悪者のレッテルを植え付けたのではないでしょうか?
この後 薩長が天下を獲り 明治政府が出来ますね、
新しい時代の幕開けですが
天皇を頂点とした 大日本帝国憲法を作りました。
そして それを 自分の都合の良いように解釈させた 日本陸軍の中心であった
長州藩により それが 今度は太平洋戦争において
大きなしっぺ返しを受けてしまったのではと思ってしまいます。
その陸軍中心にいた 西園寺公望が統帥権と言うものを振り回して 昭和に入って
日本は破滅への道に進んでしまったのではと思います。
もし 徳川幕府的な政治主導で 新政府が出来ていれば 無謀な戦略作戦を
してなかったと思います。
この話は 又後日と言うことで
とにかく 明治になって 新たな文化が芽生えたのは事実です
このことを 福沢諭吉は 文明開化と 名付けたのですね、、
この文明開化とは、
日本が明治時代に入った時に生活様式がどんどん西洋化していったことを言います。
簡単に言うと日本が近代化したと考えたらいいです。
この文明開化によって日本の様子はガラリと変わることになりました。
井伊直弼などの努力により日本は開国するのですが
これまでオランダの限られた西洋技術しか入ってこなかった日本は
一気に西洋の新しい文化に触れることができるようになりました。
新しくできた明治新政府は西洋に負けないように西洋の技術を取り入れ、
西洋の様な中央集権国家を建設していくことになります。
これを機に日本全体で西洋の文化を取り入れる文明開化が始まる事になるのです。
文明開化は色々な日本の風習や文化を変えることになりますが、
一体どんなものだったのでしょうか?
の話は
明日へ続く、、、、。