EXECUTIVE BLOG
2021.12.8
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
ある放送局での出来事でした。
あるビジネスモデルの一回目の説明をやっと行える機会を
頂けたので 訪問したのです
そして どうせまた 後日連絡しますくらいの話には
なるかと思いきや
いきなり 会議室の鍵をかけられて
「君を帰さない」 と言われた時は 驚きましたが
これは すぐにパフォーマンスだという事は理解できました。
しかし 説明してすぐに 新会社設立までの話になるとは思いも
よりませんでしたが
それは 何故かと言うと
その前から書いていたように 大学との共同研究が功を奏したのでした。
人は色眼鏡でみるのだから だったら色眼鏡で見せてやろうと言う思いで
大学の門を叩き しかも それが 世間でいう所の有名大学でなければなりませんが
そこで 教授を口説き そして 研究結果が学会でも高く評価されたと言う
実績があることで
この時の放送局からの信用を得ることが出来たのだと思います。
これが 幾ら内容が素晴らしくても 田舎の物流会社の人間が持ち込んだ
ビジネスモデルだとなりますと
それだけで 相手は うさん臭く感じるでしょうし
実際そんな理論がその後の放送局の経営に活かされるのか?と
思われ
説明後は その時の対応とは全く違い
お帰りはあちらくらいの扱いで 会議室を後にしたのではと思います。
前にも何度も書いていますが
情報の施主になることが どんなビジネスにおいても勝ち組になります
そして そのプラットフォームを用意できる企業がITの世界において
勝ち抜けるのです。
その最大のプロフォームを持ちながら活かしきれてない 現状を突破しようと
言うのがその時の目論見でした
当時の担当者たちも IT時代における 放送業界の立ち行きに不安を
感じていたようなのですが
本当の危機が訪れるまで なかなか 対応しようとしませんし
そんな 時代が来るわけがないと思いながら 現状に胡坐をかいてしまっていたのです。
しかし その時のメンバーは 来るべきIT時代をどのようにして
生き残れるかを真剣に考えていましたし
また その事を大学での研究結果をみても 理解納得ができたので
その時のような対応になったかと思います。
この時の話が2月で 新会社設立が4月でしたので
こんな急展開になるとは誰も予想がつきませんでした。
これが ある意味IT時代だからかもしれませんね
という事で
その後の展開について の話に進まなければなりませんが
本日は殆どの方は 気にもしてないかもしれませんが
太平洋戦争開戦記念日です
昭和16年12月8日は 日本の運命を変える日でもあったのです
この日に 真珠湾攻撃が行われたのです。
そのハワイで何が起きたのか???
明日は
話がいきなりそれて
ハワイでの出来事
その時 日系人は????????
に
続く、、、。