EXECUTIVE BLOG
2024.10.16
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 宿場町の話しから
本陣と旅籠の違いの話しでした。
大きな大名が泊る本陣は あらかじめ 家来が本陣の手配をしていたようですが
一般の旅人は 今の様に インターネット予約サイトがあるわけではないので
場当たり的に 木賃宿に泊っていたようです。
木賃宿は大体が 大部屋ですから 雑魚寝するだけでしょうから
人が多ければ詰めて寝ていたのではないでしょうか?
だとすると 当時の女性の旅人はどうしていたのでしょうか?
まさか 男たちと雑魚寝していたのでしょうか?
現代に生きる我々からすると いろいろわかならい事ばかりです。
一番疑問に思っていたのは ATM等あるわけないので
道中のお金はどうしていたのか?? 気になりますね、、
江戸時代の通貨は硬貨だったため、重量、安全性とも問題があったと思います、
そこで出発点の両替屋で手形に変えてもらい、行く先々でこれを現金化したそうです。 この手形には通し番号がついており、判がなければ現金化できなかったので、
盗賊からも安全であったと言う事なのですが
こんな制度を誰がいつ作ったのでしょうね、、 偽手形なんてあったのではと思いますが
時代時代で なんとかなっているのには 感心してしまいます。
日本初の「旅の大ブーム」の火付け役は、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」であり、
歌川広重の描いた「東海道五十三次」の浮世絵だったと言われています。
「滑稽さ」「怖いもの見たさ」そして美味しい「名物」に引き寄せられるのは人の世の常です。
日本の「ガイドブックの原典」とも言われる「浮世絵」「滑稽本」に惹かれ、
自由な移動が制限される江戸時代でも人々は物見遊山の旅へいそいそと出かけて行ったと
言われています。
京都には多くの銅像が残されていて 先日書いた 弁慶と牛若丸の銅像は
京都五条大橋にあります。
で
京都三条大橋には 旅行ブームの火付け役の銅像が建ってるのをご存知でしょうか??
彼らは
一体何者??
なぜ ブームになったのか???
は
明日に続く、、。