EXECUTIVE BLOG
2022.8.30
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 聖徳記念絵画館の明治天皇の話から
日本人の中には 天皇を崇拝すると言うDNAが深く刻まれていると言う話でした。
関ヶ原の戦い、大坂夏の陣を経て天下人となった徳川家康は
江戸に幕府を開き、その後、徳川幕府は265年の長きにわたって政権を掌握し、
日本を統治した歴史上で最も強大な権力を有した一族でした。
しかし その徳川も例外ではなく、
源や藤原、足利家と同様に征夷大将軍の地位を天皇から賜り、
皇位を廃するということはしませんでした。
国民にとっても古来より天皇は神聖な意味をもつ特別な存在であり、
もしも皇位を廃するようなことがあれば
大規模な内乱が起こることは明白だと時の権力者達は考えていたのだと思います。
しかし、徳川幕府は天皇を擁立していたにも関わらず、
幕末には天皇を支持する勤王派(尊王派)の動きが活発になり、
江戸幕府と敵対して戊辰戦争に発展してしまいます。
徳川幕府の独裁政権に不満を抱く勤王派が幕府の廃絶を訴え、
天皇を軸とした政権を新たに発足する動きを強め、
勤王派の圧力に屈した徳川家は政権を天皇に返上し、
徳川幕府の終焉と共に明治時代が幕を開ける事になるのです。
しかし ここで 徳川家と天皇が手を結んでいたらどうなっていたのか? に
興味が湧いてきますね、
徳川幕府は何がなんでも政権を維持しようと考えるのではなく
早くから その事を予知して 征夷大将軍を返上して天皇を中心とした
国造りをしますと 宣言していたならば
徳川天皇軍に向かって来る連中は 全て賊軍となってしまっていたので
薩長を中心とした明治維新は起きていなかったと思います。
あまりに 長い間の権力に甘んじで 改革を望まなかったために
そこを付け込まれ 戦いの最中に 薩長軍が錦の御旗を上げた事により
幕府は天皇に歯向かう逆賊の汚名を着せられてしまったのです。
そういう事もあり
薩長が天下を握る事になるのです
が
徳川幕府が長く続いた事も事実で、彼らは無意味な戦いはせず
所謂政治力を巧に活用して 統治していたのです。
しかし 薩長は いきなり 天下を獲り しかも 天皇の名を出せば
皆いう事を聞くのだ 的に 単純に物事を考えていたのでは
と思ってしまいます。
最初はそれにより 国をまとめて 列強に打ち勝っていたのですが
明治維新を経験した方が居なくなった 昭和に入ると
精神論だけが先行し
太平洋戦争に突入することになったのではと思います。
昭和天皇は あくまで平和を望まれていましたが
薩長中心の軍部の独断で 引くに引けない戦争へと突入したと思います。
これが もし 徳川的発想だったら
どうなるのか????
この辺りを
もう少し 掘り下げられるか????
それは???
明日に続く、、、。