EXECUTIVE BLOG
2023.8.7
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは グランクラスの弁当の話から
何故 グランクラスが出来たのか?? の話でした。
東海道新幹線や山陽新幹線にはグリーン車はあるのにグランクラスが無い訳は
その 車両の形にあったと言う訳でした。
必ず 何か理由があるのですね、、。
今日は この話から 博多の小料理屋の話に進む予定でしたが
またまた 話が駅弁に戻ります。
今では 大きな駅に行けば駅弁が売られていますね
別に 弁当と言えば良いものを 駅で売っているから駅弁と言っているのでしょうが
単なる弁当とは違い それぞれの土地の特徴を活かした駅弁がありますね
私も大好きなのですが 横浜の崎陽軒のシュウマイ弁当は 人気があります。
あの小さなシュウマイ美味しくて 醤油と辛子をちょいと付けると 何とも言えないほどの美味しさを感じてしまいます。
で ここで またまた興味が湧いたのですが
今では当たり前の駅弁、、。
何にでも最初と言うものがありますが、 一体 駅弁を最初に思いついたのは誰だろう??? 思ったのです。
誰も考えつかなかった事を 最初にやり遂げるのは 本当に大変だと思います。
多分その当時の常識としては 時代的にもそうでしょうが 弁当は自分で作って持って来るものを わざわざ駅で買うという常識は無かったのではと思います。
いつも言う様に常識が新しいサービスを始める阻害要因になっているのです。
今では 当たり前に目にする ペットボトルの 水とお茶ですが
その昔 水やお茶を売る事など 全く想像できませんでしたし 多分そんなものが売れるのか???と メーカの間では論議になっていたのではと思います。
更に 宅配水なんてサービスもひと昔前までは 世の中に存在していませんでしたが
これも今では 普通に 家庭やオフィスでも見かけるモノになりました。
で 駅弁もですが 一体誰が始めたのかの話です。
駅弁の誕生には諸説あるようですが、
一般的には1885年に宇都宮の旅館白木屋が発祥とされています。
日本鉄道の上野~宇都宮間が開通したころ、
宇都宮駅は町外れの野原のど真ん中にあり、駅と町を結ぶ道路さえなかったのです。
そこで白木屋の経営者だった斉藤嘉平と言う方が、
黒ごまをまぶしたにぎり飯2個にたくあん2切れを添えて竹の皮に包み、
1個5銭で販売したのがはじめとされています。
当時はかけそばが1杯1銭、コメ1升が5銭の時代でしたから、駅弁はかなりのぜいたく品だったと思います。
駅弁の初めのころはにぎり飯が主流だったようですが、
1889年にはご飯とおかずを詰めた幕の内弁当が山陽鉄道姫路駅で初めて登場しました。
これは姫路駅の近くで茶店「ひさご」を開いていた竹田木八と言う方が始めたもので、
13種類のおかずを上折に、白飯を下折に入れた二重の折詰にして、12銭で販売したそうです。
この後続々と 駅弁が登場するのですが
やはり最初に思いついた齋藤さんは素晴らしいと思います。
まさに今で言う顧客ニーズをつかんだと言う事になります。
少々高くしても売れると読んでいた商魂逞しい人だったかどうかは分かりません、、。
この旅館白木屋さんですが もう宇都宮にはないようです 同じ名前の旅館は埼玉県にありますが 関係しているかどうかまで 私には分かりません。
ただ 宇都宮駅前には おにぎり屋の 白木屋と言う店はあると言う話を聞いた事があります。
今白木屋と言う居酒屋チェーン店がありますが これは全く無関係です。
白木屋と言えば 昔 白木屋と言うデパートがありました。
ここで 女性の文化を変える大きな事件が起きました。
今考えると そんな事で!!????、、、、、、
と思うような事です。
駅弁にしても ある事件にしても それがきっかけで 世の中は変化していくのだと
思ってしまいます
白木屋で起きた事件とは?
それは????????
明日に続く、、、、。