EXECUTIVE BLOG
2019.10.26
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
昨日からのつづきです。
昨日は 人間が神様になったは話で
それは 広瀬武夫という話でしたね。
菅原道真が学問の神様ならば この広瀬武夫は軍の神様だったのですね。
さて
旅順港封鎖作戦は多大の犠牲の上に成功しましたが
ロシアバルティック艦隊は いよいよ近づいています
迎え撃つ日本連合艦隊を率いるのは 東郷平八郎です。
東郷平八郎は 薩摩藩の武士の出身です。
ここで 話しは 薩摩の話に戻り
関ヶ原の戦いでの 常識破りの作戦で敵中突破した話と
リンクしてくるのです。
では 東郷平八郎はどのような常識破りを展開したのか?
が 今回からのテーマですが
またまた 話が逸れて 関ヶ原以降の薩摩藩はどのような扱いを受けていたのか
についてみてみましょう。
徳川幕府からすると 薩摩は強敵で いつかはお家取り潰しをしたいと考えていました。
しかし 江戸からは遠いですし 戦をするとしても 幕府軍もかなり消耗してしまいますね
それで 合法的につぶれる事を 何度も考えるのですが
この最たるものが
宝暦時代にあった事件です
今 岐阜県に行って 鹿児島出身ですと話をすると
岐阜の方は 鹿児島の方に対して 頭を下げます。
これは いったい何故なのか??
本来であれば 東郷平八郎の 日本海海戦の話を書かなければなりませんが
東郷出身の薩摩を語るには 薩摩の歴史をもう少し振り返る必要があります。
そして 岐阜の方も頭を下げますが 実は 東北山形県民も 鹿児島に対して
尊敬しているのですよ
不思議ですよね
では
明日からは 日本海海戦の話の前に
少し薩摩を掘り下げてみましょう
明日に続く。