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2025.9.25
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは お彼岸の歴史の話しでした、、、。
お彼岸という言葉は、もともと仏教から生まれた言葉です。
仏教の教えでは、私たちの生きるこの世を「此岸(しがん)」と呼び、
迷いや苦しみを抱えた世界と位置づけています。
そして、悟りを開き、迷いを超えた世界のことを「彼岸(ひがん)」と呼びました。
つまり、本来の意味は季節行事ではなく、
「悟りの境地」を表す宗教的な概念だったのです。
しかし、日本ではこの仏教用語が独自に発展し、
春分や秋分に祖先を供養する行事として広まりました。
この点が、お彼岸を日本独特の風習たらしめている大きな特徴なのです。
まずは他の国々と比べてみましょう。
中国では先祖供養の行事として「清明節」が有名です。
これは毎年4月頃に行われるお墓参りで、
家族で墓地を訪れ、草を刈り、供物を供えて先祖に感謝するというものです。
また、夏には「中元節」と呼ばれる祖霊祭もあります。
しかし、中国において「彼岸」という名称の行事は存在せず、
春分や秋分に限定した先祖供養の習慣も定着していません。
韓国では旧暦8月15日に「秋夕(チュソク)」が行われ、
やはり先祖供養や収穫感謝をしますが、これも彼岸とは異なります。
ベトナムやタイなどの仏教国でも、盂蘭盆(お盆)や仏教行事は盛んですが、
「昼夜が等しくなる春分・秋分」に特別な意味を与えた風習はありません。
つまり、「彼岸」という行事は日本にしか存在しないのです。
では、なぜ日本だけでお彼岸が成立したのでしょうか。
そこには二つの大きな理由があります。
ひとつは、
日本人が古くから自然暦を大切にしてきた民族であるということです。
春分と秋分は、太陽が真東から昇り真西に沈む特別な日であり
昼と夜の長さがほぼ等しくなる日でもあります。
この「中道」「均衡」という自然現象が、
仏教の「彼岸」という教えと結びつきやすかったのです。
西方に沈む太陽は、西方極楽浄土のイメージと重なり、
ご先祖が住まう世界とつながる扉のように感じられました。
日本人は自然現象に宗教的な意味を重ねることが得意であり、
春分・秋分を「特別な日」として意識する素地があったのです。
もうひとつの理由は、
日本に根づいていた祖霊信仰との融合です。
日本の神道では、祖先の魂を「祖霊」として祀る習慣が古代からありました。
田畑の節目、収穫や種まきの時期には、祖霊や氏神様に感謝し、祈りを捧げてきました。
春分は農耕が始まる前の区切りであり、秋分は収穫の感謝の時期です。
そのため、農業と深く結びついた祖霊祭祀が、自然にこの日に行われていました。
そこへ仏教の「彼岸」の思想が入ってきた結果、
先祖供養と自然崇拝が一体化し、彼岸行事が定着していったのです。
こうして見ると、日本のお彼岸は
「仏教用語の彼岸」+「春分・秋分という自然暦」+「神道的な祖霊信仰」
が重なり合って生まれた、日本独自の宗教文化だといえます。
まさに神仏習合の代表例であり、
どちらか一方に偏らず、
両方を素直に受け入れて融合させる日本人の感覚が色濃く反映されています。
では、「お彼岸」と「お盆」はどう違うのでしょうか。
よく似た祖先供養の行事ですが、考え方には違いがあります。
お盆は
「祖先の霊がこの世に帰ってくる時期」とされ、
迎え火や送り火によって霊を迎え、また送り出す行事です。
つまり「霊が訪れる」のがお盆です。
一方、お彼岸は
「私たちが彼岸=悟りや祖霊の世界に近づく時期」と考えられており、
霊を招くのではなく、こちらから歩み寄って供養する点に特徴があります。
どちらも先祖供養ですが、
お盆は「お迎えする行事」、
お彼岸は「お参りに行く行事」
と整理すると分かりやすいでしょう。
現代の私たちは、
お彼岸になると家族でお墓参りをし、花やお供え物を供え、手を合わせます。
これは単なる宗教儀礼ではなく、家族の絆を確かめる大切な機会でもあります。
遠方から集まり、先祖をしのび、感謝を伝える時間は、
世代を超えて心をつなぐものです。
日本人は「神も仏もどちらもありがたい」と感じる柔らかい宗教観を持っており、
その感覚が日常生活に自然に溶け込んでいます。
まとめると、お彼岸は仏教発祥の言葉でありながら、
春分・秋分の自然暦と神道の祖霊信仰とが融合して、日本で独自に発展した行事です。
他国には存在せず、まさに日本的な宗教文化の結晶といえます。
神道と仏教が矛盾なく共存し、
自然への畏敬と祖先への感謝が一つになったお彼岸の習慣は、
日本人の心の在り方を象徴しているのです。