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社長&顧問ブログ

2025.5.9

日清日露へ

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 江戸から明治の風刺画の話しでした。

民衆は 風刺画を見る事で 簡単に世情を理解することができました。

 

しかし そこには 戦意高揚などの意図も隠されていて 本質までなかなか

理解できなかったと思います。

 

今日は 三国干渉の話しから 何故日本が 明治時代に日清 日露戦争に突入したのかに

ついての話に 進みます、、、、。

 

明治時代、日本は急速に近代化を進めながら、欧米列強と肩を並べる国を目指していました。そんな中で起こったのが、1894年に始まる日清戦争です。

これは日本と中国(清)との戦争で、朝鮮半島の支配権をめぐって対立が激しくなり、

ついには武力衝突へと発展したものでした。

 

もともと朝鮮半島は、長年にわたって清の影響下にありましたが、

日本もまたその地理的・戦略的な重要性に注目していました。

明治政府は「独立した朝鮮」を理想とし、それを実現するためには、

清の影響力を排除しなければならないと考えたのです。

また、日本としては、急速な近代化によって整備してきた軍の力を試す舞台でもありました。

 

そして日清戦争で日本が勝利すると、1895年に結ばれた下関条約により、

清から賠償金だけでなく、

台湾・澎湖諸島、さらに遼東半島の割譲までも得ることになります。

ところが、これに異を唱えたのがロシア・フランス・ドイツの3国だったのです。

これがいわゆる*三国干渉」なのです。

 

彼らは日本に対して、「遼東半島を清に返すように」と圧力をかけました。

なぜそんなことをしたのか?

 

それには、それぞれの国の思惑がありました。

 

まずロシアは、南下政策を取っており、冬でも凍らない港を手に入れるため、

遼東半島にある旅順港に強い関心を持っていました。

ところが、そこを日本に取られてしまっては、自国の戦略が台無しになる。

そこで日本を牽制するため、フランスとドイツを巻き込んで圧力をかけたのです。

 

フランスはというと、当時ロシアと同盟関係にあり、友好国としてロシアの意向を支援する立場にありました。

 

ドイツはやや違って、直接的な利益よりも、

自国の東アジア進出の布石として清との関係を保ちたかったのです。

そのため、清に味方する形で動いたのです。

 

こうして三国からの強烈な干渉により、日本はやむなく遼東半島を清に返還します。

日本国内ではこれに対する不満が爆発し、

「臥薪嘗胆」「いつかロシアに仕返しを」という声が高まります。

これが後の日露戦争の火種となっていくのです。

 

その後日本は、遼東半島を手放した代わりに、巨額の賠償金で軍備を整え、海軍を強化し、植民地経営のために台湾を整備していきます。

そして次に起こった大きな戦争が日露戦争です。

 

なぜこの戦争が起こったのか????。

 

ひとつには、再び朝鮮半島の支配権をめぐる問題がありました。

ロシアは三国干渉のあと、

あろうことか今度は自分たちが遼東半島の旅順・大連を「借り受ける」形で

事実上の占領を始めます。そして、満州の支配にも乗り出して来たのです。

 

これに対して日本は強い危機感を持ちました。

「今度こそアジアがロシアに飲み込まれてしまうのではないか」と。

 

日本にとって朝鮮は、地政学的に言えば「日本列島を守る盾」のような場所でした。

ここがロシアの手に落ちれば、日本は直接的に脅威にさらされる。

明治政府は繰り返し外交交渉を試みましたが、ロシアはのらりくらりと答えを引き延ばし、その間に軍を増強し、満州・朝鮮への進出を進めていくのです。

 

最終的に、日本はこれ以上の外交は無意味と判断し、

1904年、ロシアに対して先制攻撃を仕掛けることになります。

これが日露戦争の始まりです。

 

この戦争は、極めて大きな意味を持っていました。

当時の世界では、ヨーロッパの列強こそが支配者であり、有色人種の国はその下にある、

という偏見が支配していました。

ところが日本がこの戦争に勝利したことで、世界は驚きます。

初めて、アジアの小国がヨーロッパの大国に戦争で勝ったからです。

 

その結果、日本は朝鮮半島での優位を確保し、後には朝鮮を併合することになります。

また、ポーツマス条約により、旅順・大連の租借権、南満洲鉄道の権益、

サハリン南部の領有なども得ることになったのです。

 

こうして、日本は名実ともに「列強の一員」へと仲間入りを果たしますが、

その一方で、軍事力と外交圧力によって国益を得るという姿勢が固定化され、

それが後の軍部台頭や太平洋戦争への道にもつながっていくことになります。

 

このようにして、日清戦争・三国干渉・日露戦争という一連の流れは、

すべてがつながっています。

列強の思惑と国益、そして日本の安全保障とアジアでの立場が交錯しながら、

歴史は動いていきました。

 

これらの出来事は、単に教科書の中の戦争ではなく

現代の国際関係や安全保障の考え方にも深くつながっているだと思います。

 

明日は 日清戦争でも海戦の話しから日露戦争での 乃木大将や東郷元帥の

話しに続く、、、、

 

予定、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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